Workplace
Dec. 11, 2017
ベルリン市民が自らの手で取り戻した
“みんなのための場所”
[Holzmarkt]Berlin, Germany
冷戦時代にはベルリンの壁に沿うようにして街を東西に分断していたシュプレー川。その川べり1万8000㎡の敷地に地名を冠した「ホルツマルクト(木材市場)」なる複合施設が建設中だ。しかし、全てハンドメイドであることをまず断っておきたい。
12階建ての木造オフィスビルに、ハードウェアの工房、公園、農園、保育園、バー、音楽学校、レストランにベーカリー、その全てがである。クラブは木と石をかき集めて作ったもの、高架下を使ったコワーキングスペース、デビッド・ボウイなどを撮影する著名な写真家が使うスタジオも建てた。多くが完成には至っていないが、「来年(2017年)の5月には残らずオープンします」とホルツマルクトのリーダー、ユヴァル・ディーツィガー氏は宣言する。
「多くの投資家が少額ずつ出資しているので、資金は潤沢ではありませんが、頑張っています(笑)。大きなプランに小さな資金、それでも様々な人々を巻き込んでプロジェクトを進めているところです」
施設のみにフォーカスすれば、無造作で、いびつで、焦点が定まらず、さながらヒッピーが集まるコミューンのようだ。それでもホルツマルクトが「スタートアップ都市ベルリンの象徴」と目されているのは、この土地が持つ物語の力による。本来ここは大資本の大手デベロッパーの手で開発され、近代的な高層ビルディングが埋め尽くす計画だった。それを市民が阻止したのである。
物語は、2009年8月まで実在した伝説的なクラブ「Bar25」から始まる。外観はボロボロの掘っ建て小屋、しかしベルリンのダンスフリークにとってはこの世の楽園だった。パーティは24時間続き、エントランスフィーは無料、富める者も貧しい者も昼夜の別なく踊り続けた。ベルリンの壁崩壊後、文化的空き地と化したベルリンにクラブカルチャーを根付かせたのもBar25だ。周辺にはバーがあり、シアター、レストランがあり、1つのエコシステムをなした。そして、どれもがハンドメイドだった。スタートアップ都市ベルリン、彼らはいつでも自分の手で作り上げる。
「なんといっても、私たちは若く、お金がありませんでしたからね」と笑うユヴァル氏は、Bar25の元オーナーなのである。
上写真。現在、完成しているエリアの全景。DIYの雰囲気に満ちたカフェ、バー、シアター、公園があり、およそ計画全体の約20~30%にあたる。完成形はなく常に関係者、ユーザーの意見を参考に改良が加えられていく。
ホルツマルクト
ファンウンダー/チーフ・エモーショナル・オフィサー
ユヴァル・ディーツィガー
行政主導の都市開発だけでは
上げられない街の価値
惜しまれながら店がクローズしたのは、ベルリン市から締め出しを喰らったからだ。2000年代以降、ベルリン市はシュプレー川沿いに大型のオフィス・商業施設を誘致する「メディアシュプレー」計画を進めた。長らくベルリンの壁がもたらしていた都市開発の遅れを取り戻す意図があったことは想像するにたやすい。街の近代化がドイツの首都ベルリンの不動産価値を最大化すると市は信じた。
だがこれに異議を唱えたのが、当のベルリナーたちだ。彼らは近代的な高層ビルなど望まなかった。ベルリンは確かにドイツの立法・行政の中心地だが、現代におけるクラブカルチャー然り、古くはゲーテ、バッハ、ベートーベン、ニーチェを輩出した文化の街でもある。そして水辺の街。シュプレー川には無数の運河と支流が入り組み、川べりに佇む人々の姿がそこかしこにある。川はみんなのためのスペースであるべきだ、とベルリン市民は主張した。何か建てるのはいいけれど、川のそばに高さ80mのオフィスビルを建てる必要はないだろう? ユヴァル氏も同意見だった。
「もっと人が集まる楽しい場所を作りかった。川に親しみたい人たちのすべてのニーズを満たす場所が作れるはずなんです」
こうしてBar25時代からの仲間11人が集まり、「投資を募るため」に会社を作った。彼らが130名の個人投資家に声をかけ、2万5000ユーロずつを得るとそれを担保に社会的事業に出資する銀行から融資を受けた。このお金がホルツマルクトの開発費用に充てられている。では市に奪われた土地はどう取り戻したのか。
彼らが選んだ手段は、抵抗ではなく粘り強い対話だ。ベルリンの文化的価値を訴え、大企業や政府、投資家との交渉を重ねた。大資本が建てる高層ビルよりも、市民自らがつくるクリエイティブなシーンのほうが、ベルリンらしく、街の価値を長期的に高めるものだと。「それにはたくさんのエネルギーがいりました。毎晩、一人ひとりと話しました。議会の外で政府の要人を待ちかまえたこともあります」
夜も更けるとホルツマルクト内にあるクラブ、ケイター・ブラウではダンスミュージックが鳴り響く。
運営事務局のオフィス。コンテナや中古バスを改修したDIY感あふれる宿泊施設も並ぶ。スタッフはビジネスとしての活動のみならず、マイノリティを守ることを使命にしている。現在、難民11名を受け入れ、仕事と生活のサポートをしている。
“みんなのための場所”から
文化を発信するコミュニティに発展
2006年には、市民によるメディアシュプレー計画の反対デモが発生した。計画の中心地だったフリードリヒスハイン=クロイツベルク地区では1万6000人の署名をもとに地区選挙が実施され、新規建設に際し河岸より50m以上の距離をとること、地上22m以上の高さの高層建築を禁止すること、橋梁の建設を禁止すること、などの案が採択された。
ユヴァル氏らも、Bar25を愛する市民の声を集め、市に働きかけていた。2009年には1万人規模のデモを主導、ついに市の態度は軟化した。土地は入札にかけられることになり、ユヴァル氏らはスイスの年金ファンドの支援を受けて入札に参加した。さまざまな大企業が競合するなか最高額で落札、75年の借地権を勝ち得たのである。ここで注目すべきは、行政、市民に加えて、資本主義の権化とも言えるファンドを動かしたことだろう。
「エコに対する理解があったクロイツベルクの区長は『ただ反対するのではなく妥協点を見つけるべきだ』と言いました。あらゆるステークホルダーのニーズを満たせるような場所にできるはずだと」。スイス年金ファンドも確実な収益が見込めると踏んだからこそ、支援を申し出たのである。「ホルツマルクトが街の価値を高める」という仮説は、ひとまず立証されていると言っていい。「ここ3年間で土地の値段は5倍にもなっていて、いま売却しても大きな利益が得られます」
市の計画により、いったんは「みんなのための場所」を失ったベルリナーたち。しかし彼らはコミュニティを守ろうと自らムーブメントを起こした。結果、場所を取り戻したどころか、より大きな資本を得て新しいコミュニティを育てつつある。
コミュニティの中心にいるのは、やはりユヴァル氏だ。もっとも、この土地が今後どうなっていくのか、彼にもわからない。そもそも、この土地は誰か一人のものではないからだ。
「これほどの大きさの場所を開発する場合、通常は資本主義的な考え方をするものです。どこからか銀行がやってきて『このようにするべきだ』と指示をする。ですがそうした『正しい方法』を実行するのはよくないと我々は考えています。だから、ここにはプロジェクトマネジャーもいない。そのせいで、建物に必要のないドアをつけてしまうこともありますが(笑)」
ユヴァル氏にとって、みんなのための場所とはそういうものだ。不完全でもいいから自分たちの手でつくること。とにかく、たくさんのコミュニケーションとエネルギー、アイデアが生まれること。それこそ、かつてBar25が伝説となった理由であり、また現代のスタートアップたちが望むものでもある。
「私は人を隔てる壁を作るのはいやで、人が行き交う橋を作りたいのです。良いアイデアはパソコンの前ではなく、さまざまな人との交流から生まれるもの。スタートアップだって新しいアイデアを世界中で探しているでしょう? 半年だけでも彼らがここにやってきてスペースを持ち、ベルリンで働けるようにするつもりです」
text: Yusuke Higashi
photo: Tamami Iinuma
WORKSIGHT 11(2017.4)より
大通りに面した建設中の複合施設。オフィス、イベントスペース、幼稚園、店舗、住居などが入る予定だ。
通りから見た完成イメージ。無機質なオフィスビルではなく多様なイメージを都市に提供する。
高架上に建築されるオフィスビル、住居の完成予想模型。