Foresight
Dec. 18, 2017
ポジティブ・コンピューティングで人の潜在力が開花する
身体性に根差した「自分のウェルビーイング」を求めて
[渡邊淳司]NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 主任研究員(特別研究員)
人工知能(AI)やバーチャルリアリティ(VR)など、このところのテクノロジーの進化、実用化は目をみはるものがあり、多くの人が高い関心を寄せています。技術の発達で機能性が格段に高まったのは事実です。しかしそれを使う人間の心の状態はどうでしょう。
情報端末の普及で昼夜問わず仕事に追われる人も少なくありませんし、そういう時間的、身体的な負荷の他にも、マルチタスキングな状況や膨大な言語記号の意味を自分事として理解することの難しさなど、心理的な負の影響も増大しているように感じます。テクノロジーが高度に発達したことで本当に僕らが幸せになっているかといえば、ウンと言えない面もあるのではないでしょうか。
個人や社会に幸福をもたらすテクノロジーを探る「新たな時代」
シドニー大学教授のラファエル・カルヴォとUXデザイナーのドリアン・ピーターズは、心理的ウェルビーイングと人間の潜在力を高めるテクノロジーの設計・開発を「ポジティブ・コンピューティング(Positive Computing)」と名付けました。
彼らは著書* の中で、コンピュータが誕生した当初は生産性と効率性がひたすら追い求められたが、そのような価値観は徐々に過去のものとなりつつあると看破しています。そして「私たちは新たな時代へ突入しようとしており、テクノロジーが個人のウェルビーイングとともに、社会全体の利益にも貢献すること」が重要だと述べています。生産性や効率性のためだけでなく、個人や社会の問題にも資するテクノロジーを探っていこうというわけです。
欧米では、脳科学や心理学などの分野でウェルビーイングの研究が進められています。心理学的な試みのひとつとしてマーティン・セリグマンの提唱したPERMA理論があります。「Positive Emotion(肯定的感情)」「Engagement(没頭)」「Relationships(良好な人間関係)」「Meaning(他者や公に対する貢献)」「Achievement(達成)」 という5つの要素をバランスよく満たすことが、豊かな生活の実現に必要だというものです。
ウェルビーイングは、概念そのものとしては客観的に捉えがたい部分があり、「天気」や「景気」といった概念がそうであるように、その具体的要因を規定することで把握します。天気の場合は温度、湿度、気圧、風速などの定量評価の軸を設けることで「良い天気」や「悪い天気」を示すわけですが、ウェルビーイングも多次元的に評価していくというのがセリグマンの主張です。具体化、定量化ができればウェルビーイングとは何かが分かるし、ウェルビーイングを向上させるために何をすればよいかも見えてくるということです。
包括的に幸福感や充足感を捉える持続的ウェルビーイング
ウェルビーイングには大きく分けて3つの側面があります。それは「医学的ウェルビーイング」「快楽主義的ウェルビーイング」「持続的ウェルビーイング」です。
医学的ウェルビーイング(Medical Well-being)は、心身の機能が不全でないか、病気でないかを問うもので、医学の領域といえるでしょう。これは私たちが普段受けるような健康診断、また心についてはメンタルヘルスに関する質問紙で測定可能です。
快楽主義的ウェルビーイング(Hedonic Well-being)は、現在の気分の良し悪しや快・不快によって測るものです。一般的に「幸せですか」と聞かれると一時的な感情で答える傾向がありますが、それはこの区分で捉えているといえます。
最近話題にされるウェルビーイングは3番目、持続的ウェルビーイング(Eudaimonic Well-being)の定義です。心身の潜在能力を発揮し、意義を感じている「いきいきとした状態」を指すもので、フローリシング(flourishing)=開花という言葉で表現されます。
例えば、課題達成の過程における一時的なつらさは、快楽主義的には不幸と見なされますが、それを自分の能力で乗り越えられるという有能感や、自身でやり遂げたという達成感をもたらすのであれば持続的には許容できるということです。
少し前は幸福やウェルビーイングというと快楽主義の話が主でした。それは単純に表情や心拍、ホルモン量など生理指標によって測りやすかったからかもしれませんが、現在は、持続的に、より包括的に捉えようとしているのです。
自分がウェルビーイングを感じる要因を探ることが第一歩
では、この持続的ウェルビーイングを構成する要因にはどのようなものがあるでしょうか。先ほど、PERMA理論について触れましたが、それ以外にも、例えば、フェリシア・ハパートとティモシー・ソーの研究では、PERMAに関連するもの以外にも「有能感」「情緒的安定」「楽観性」「心理的抵抗/回復力」「自尊心」「活力」といった構成要素も取り上げられています**。これらの要因を簡単に分類してみたものが下の表です。
自己 | 他者 | 超越 |
---|---|---|
・感情 肯定的感情 ・心的状態 没頭・フロー 情緒的安定 楽観性 心理的抵抗/回復力 活力 ・自己認知 達成感 貢献感 有能感 |
良好な人間関係 ・他者へ向けて 共感 思いやり 利他行動 ・他者からの評価 自尊心 |
精神性 謙虚さ 社会的責任 |
図版1:持続的ウェルビーイングの構成要因の例とその分類(自己、他者、超越)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所は、NTTグループの先端技術総合研究所の1つ。「情報」と「人間」を結ぶ新しい技術基盤の構築に向けて、情報科学と人間科学の両面から研究に取り組んでいる。
http://www.kecl.ntt.co.jp/rps/index.html
渡邊氏は認知科学、情報技術、メディアなどを横断的に研究しつつ、その研究成果を展示会やワークショップなどを通じて一般の人にも体験してもらうなどして、人間科学と情報技術による新しい体験・コミュニケーションを探求している。個人ウェブサイトはこちら。
http://www.kecl.ntt.co.jp/people/watanabe.junji/index-j.html
* “Positive Computing : Technology for Wellbeing and Human Potential”(The MIT Press)
邦訳は『ウェルビーイングの設計論~人がよりよく生きるための情報技術』(ビー・エヌ・エヌ新社、下)。監訳を渡邊氏とドミニク・チェン氏が務めている。
** F. A. Huppert and T. T. C. So (2013)
Flourishing Across Europe: Application of a New Conceptual Framework for Defining Well-Being.
Social Indicators Research, 110(3), 837-861.
「自己」という分類は、一時的な感情だけでなく、現在の状況に対応するための心的状態、自己の心身や能力に対する認知に関する要因です。「他者」は他の人との関係性、他者へ向けた共感や思いやり、利他行動、さらに人から評価されることで得られる自尊心等を含みます。それ以外に『Positive Computing』でも取り上げられていた「超越」という分類もあります。これは、自然や社会、世界といった大きなものの一部として自分を感じ、それに貢献しようとすることといえます。
この中でどれが自分にとって大事な要因であるかはそれぞれ違います。ひょっとすると、ここにない要因からウェルビーイングを感じる人もいるかもしれません。例えば、親を看取ることがウェルビーイングにつながったという人もいます。もちろん、病気であることは医学的には不幸であるのですが、病に伏せっていた親の臨終を家族みんなで受け入れたことで、その人が生きてきた喜びを共有するとともに、命を引き継いでいく自分や家族とのつながりを実感できたということなのでしょう。そういうケースもあるということです。
ですから、どんな要因から自分がウェルビーイングを感じるかを探ることがまずは重要なんですが、意外とこれが見過ごされているのではないでしょうか。このようなことは、AIに決めてもらう話ではないし、これがあれば絶対に良いという、誰にでも効く特効薬があるわけでもありません。自分にとってのウェルビーイングは自分で見極めるしかないですし、むしろそれを見極めようとする過程が、ウェルビーイングを向上させるのに重要な役割を担うのだと思います。
(渡邊氏提供の図版を元に作成)
自分の身体や無意識の声を拾い上げて、
意思決定や合意形成に生かす
ウェルビーイングの要因を探るとき、大事にしたいのが身体が捉える感覚です。理屈で考えていいと思えることでも、体が嫌がっているように感じることはないでしょうか。なぜか体が重かったり、心臓がドキドキしたり。そういう身体の声は意識の上ではぼんやりとしか感じられませんが、心拍や体温には如実に現れたりします。
僕の場合は、家を出るとき忘れ物があると、なぜかいつも後ろ髪を引かれるんです(笑)。何かいつもと違うなと感じる。でもそれをはっきりとは認識できず、まあいいかと出かけて後で困ったりする。意識の方が意外と適当な判断をしてしまうんですね。身体を意識することは、意思決定や合意形成にもっと生かされるべきなんじゃないかと思います。
では、そういう身体の声をどのように拾うか。ここで重要になるのが情報技術です。自分の主観的な状態を記録するだけでなく、体温、心拍、血圧、睡眠などを記録するセルフトラッキング(Self-tracking)の技術があります。自分の状態をモニタリングすることは健康管理の第一歩ですし、心身が不調のとき、その原因が分かれば適切な対策が取れます。理由が分からない不安ほどつらいことはありません。
データに基づいた実践が確実な行動変容につながる
もう1つ、セルフトラッキングで情報技術を使うことの利点は、それが環境とつながっていることです。自分の状態とその時々の環境の状態を照らし合わせることができます。シンプルなところでいえば、天候の変化が体調に与える影響に気がつくかもしれないし、社会のニュースとの関係や、同僚の状態との関係が見えてくるかもしれません。
健康管理だけでなく、人間関係や仕事のパフォーマンスにおいても、自分がいきいきと過ごせていると感じられる状況が客観的に見えるようになれば、それに基づいて自分の行動を変えようという気になります。
思いつきで行動すると、その時々で行動がぶれてしまいます。映画を見てやる気になったから次の3日間だけ頑張る、ということでは持続的なウェルビーイングは望めません。そこはやはりデータに基づいて実践した方が気づきが得られるし、結果として行動変容を確実に起こせると思います。
生命としての自己の存在に対する気づきを促す「心臓ピクニック」
身体や無意識が感じているものを意識的に受け止めるきっかけを作る方法としては、触覚の利用も考えられます。
例えば、僕は研究者やアーティストと共同で、心臓の鼓動を手の上の触感として感じる装置を使ったワークショップ「心臓ピクニック」を行っています。その装置では、聴診器を胸に当てると、それにつながった白い箱が心臓のようにトックン、トックンと振動します。装置を持つとあたかも自分の心臓がそこにあるような感覚になります。さらに、それを他人と交換することで、その違いに気がつくことができます。これは、生命としての自己や他者の存在に気がつくきっかけの体験になります。
VRも身体性を伴って他者の視点を体験する方法といえるでしょう。例えば、ヘッドマウントディスプレイをつけて主人公がヒーローになるストーリーをVRで体験すると、現実世界でも人助けの行動をしやすくなるという報告があります*** 。自分とは異なる視点の体験をすることで、実際に行動を変えられる。そうであるならば自分の感情や行動を、よりウェルビーイングの方向へ持っていくこともできるはずです。
最近企業のワークショップでロールプレイングが行われることも多いですが、これも自分の身体を使って異なる視点をシミュレーションすることといえます。VRにしてもロールプレイングにしても、人の視点になりきれるような仕掛けや、そこで何かを発見できるようなストーリーが重要だと思います。
テクノロジーのフィードバックを元に自分で対策を考える
2017年3月に訪れたサンフランシスコのIT企業では、呼吸を計測して緊張状態を予測し、それをユーザーにフィードバックする技術を開発していました。
最近のアプリは、あなたはあと何キロ走るといいとか、甘いものを食べたほうがいいとか、すべきことを教えてくれます。でもこの会社の技術では、あからさまにはそれをせず、計測から得られた情報をユーザーに提示するだけに留めようとしています。例えばその人に強い緊張が続いていると読み取れた場合、端末を振動させて「あなたは緊張している」というサインだけを出すのです。
身体にいいから運動しろとか、血糖値を上げるために甘いものを食べろとか、ウェルビーイングを実現しようとするあまり効率性を求めると、その過程で自律性や自己への気づきがなくなり、結局はウェルビーイングが損なわれてしまいます。
彼らはその点に意識的で、緊張状態を解決する手立て――例えば他の場所に移動する、仕事を中断して休憩する、緊張を強いる人との関係を見直すといった方策は、ユーザー自身の感覚や考えに基づいて決めるべきだという立場に立っているわけです。そのほうが自分にとってしっくりくると思いますし、より行動変容に結び付けやすいでしょう。
インディビデュアリストとコレクティビスト
もう1つ、彼らとの話で興味深かったのが、インディビデュアリストとコレクティビストという言葉です。独立した個があって、そこから組織を作っていくのが前者だとしたら、後者は組織の中で役割を与えられて、そこで機能することでだんだん個が形成されてくるというイメージです。それは東洋的な価値観に重なるものでしょう。
個の確立した社会では、まず各個人のウェルビーイングの最大化を目指すけれども、東洋的人間観では集団の中で役割を果たすことで、結果としてウェルビーイングがもたらされることも往々にしてあると思われます。コレクティビストという概念に西洋の人が関心を持ち始めたことは、個人と集団の関わり方を探る上で新しい局面が開かれるような期待もあり、興味深いです。
WEB限定コンテンツ
(2017.9.25 神奈川県厚木市のNTTコミュニケーション科学基礎研究所にて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kazuhiro Shiraishi
心臓ピクニックの装置で鼓動を手の上の触感として体感する様子。渡邊氏のウェブサイトでは動画も交えてワークショップの模様を伝えている。
http://www.junji.org/heartbeatpicnic/indexj.htm
*** R. S. Rosenberg, S. L. Baughman, and J. N. Bailenson (2013)
Virtual Superheroes: Using Superpowers in Virtual Reality to Encourage Prosocial Behavior.
PLoS ONE 8(1): e55003.
渡邊淳司(わたなべ・じゅんじ)
NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部主任研究員(特別研究員)。1976年東京生まれ。2005年東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。人間の知覚メカニズムの探求や触覚を使った情報提示原理(Haptic Design)の研究を行う。人間の知覚特性を利用したインタフェース技術を開発、展示公開するなかで、人間の感覚と環境との関係性を理論と応用の両面から研究している。近年は、学術活動だけでなく、出版活動や、科学館でのワークショップ、美術館での展示等を数多く行う。東京工業大学工学院 特任准教授。著書に『情報を生み出す触覚の知性~情報社会をいきるための感覚のリテラシー』(化学同人)、編著に『いきるためのメディア~知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)ほか。