Innovator
Jun. 4, 2018
味は本格、見た目は革新。
若年層のクラフトビール市場に突破口を開く
コアの熱を伝播して、市場の周縁を引き寄せる
[稲垣聡]株式会社ヤッホーブルーイング よなよなエールプロダクション/マーケティングディレクター
小規模な醸造所がつくる、多様で個性的なビールを「クラフトビール」といいます*。
大手メーカーの大量生産のビールとは全く違う味わいを楽しんでいただこうと、ヤッホーブルーイングでは「ビールに味を! 人生に幸せを!」をミッションに掲げ、クラフトビールの開発に取り組んできました。これまで「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「東京ブラック」「僕ビール、君ビール。」などさまざまな銘柄を生み出しています。
僕はフラッグシップである「よなよなエール」のブランドマネジメントを統括しながら、他の製品についてもそれぞれのディレクターと並走しつつ、全体の横断的なマーケティングも担当しています。新製品の企画・開発にも携わりますし、複数のチャネルで行われるマーケティングコミュニケーションについて全社的にアドバイスもしたりと、仕事は多岐に渡ります。
実業に関心を持ち、広告業界から転身
ヤッホーブルーイングには2011年に入社しました。その前は広告業界にいて、ベンチャーを中心とした企業のブランディングやコミュニケーションを通じた課題解決などに取り組んでいました。
広告の仕事は面白かったけれども、クライアントであるベンチャー企業経営者の話を聞くうちに、自分も実業に挑戦してみたいと思うようになったんです。事業の主体としてお客様の心を動かして購買につなげることは、お題を与えられて顧客のニーズに応える広告業とはまた違った面白さがあるんじゃないかと考えたんですね。
ちょうどその頃、社員を募集していたのがヤッホーブルーイングでした。クラフトビールも好きだったし、自分の好きなもので仕事をしてみたいと考えて、応募したら採用されたというわけです。
当時、流通の店頭販売としては「よなよなエール」「東京ブラック」「インドの青鬼」が一部のお店で扱われているだけという状況でした。入社することになって改めて「よなよなエール」を飲もうと思ったけれども、東京で買える店は少なくて、デパートの地下でやっと入手できた。まだ知る人ぞ知るという感じのマニアックな商品でしたね。当然ながら社名も知られていなくて、ヤッホーブルーイングという会社に転職すると友人に報告したら、「何、その会社」「大丈夫?」って心配されました(笑)。
ファンベースマーケティングに力点を置く
入社して配属されたのがマーケティングユニットでした。といっても、個別のブランドユニットの仕事から外れる事柄を拾ってフォローしたり、醸造チームと一緒に新製品を考えたり、イベントを企画・運営したり、地元の営業をしたりと、要は“何でも屋”でした。
当時は自社流のマーケティング手法が徐々に形になってきた段階でしたけど、日本でクラフトビールのカテゴリを作ってそこで一番になるという社長(井手直行氏=てんちょ**)のビジョンははっきりしていました。これは創業以来の一貫した戦略でもあります。ですから、雑多なことをこなしながらも、まずはクラフトビールのすそ野を広げることに注力しよう、地道にお客様を増やしていこうということで、それがマーケティングの基本方針となっていました。
我々のような小さい会社は広告や宣伝にお金をかけられません。そこでマスに働きかけるのではなく、熱狂的なファンとのコミュニケーションを重視するマーケティング、今でいうファンベースマーケティングに力点を置いてきました。
それまでもインターネット通販を通じて、製品にかける思いや醸造の過程など、お客様に丁寧に説明する姿勢を打ち出していました。そうやって一定数の固定ファンを獲得してきたわけです。
そこへちょうど2010年ごろから世の中でもクラフトビールに注目が集まるようになってきました。流通チェーンとしても、じゃあ商材に入れようとなりますが、しかし品質やブランド力、生産体制などの点で流通に乗せられる会社は限られてきます。となると、ネット通販で着実に実績を重ねていた我々が一番手になってくる。地道な活動が点と点をつなぐ形で実を結び、成長軌道に乗り始めた頃に僕は入社したわけです。
株式会社ヤッホーブルーイングは、国内最大手のクラフトビールブルワリー。代表取締役社長は井手直行氏。本社は長野県軽井沢町。現在、星野リゾート代表を務める星野佳路氏が1996年に設立した。
http://yohobrewing.com/
* 1994年の酒税法改正を機に、少量生産のビールメーカーが全国各地に生まれ、そこで生産されるビールは当初「地ビール」と呼ばれた。2010年頃からクラフトビールという言葉が日本に流入した。
** ヤッホーブルーイングではフラットな議論のできる環境作りを目的として、社員同士がニックネームで呼び合っている。「てんちょ」は井手氏のニックネーム。稲垣氏のニックネームは「ごろう」だ。
ヤッホーブルーイングでは1997年に「よなよなエール」を発売。折からの地ビールブームで注文が殺到したが、3年ほどでブームが去り苦境に陥った。創業以来8年連続で赤字を計上するも、品質向上を図りつつネット通販に注力した結果、2004年以降は黒字に転換。2008年より即戦力となる中途社員の採用を本格化させ、さらなる業容拡大を図ろうとしていた時期に入社したうちの一人が稲垣氏だった。
想定の上を行くインパクトがないと、
ビールの面白さを知らない人を誘引できない
当時、社内では製品ラインナップの拡充が1つの課題でした。僕が入社した時点では力強い味わいの男性向け製品が多くて、女性市場も開拓しようということで新製品の開発に取り組み始めていました。それが「水曜日のネコ」(2012年11月発売)で、入社して最初に開発に関わったものです。
フルーティーですっきりした飲み口のホワイトエールで、30歳前後のいわゆる「アラサー」女性をターゲットにしています。製品名は、週の真ん中の水曜日に、ネコのようにリラックスするシーンを想定したもの。味もビジュアルも女性好みでうまくアピールできたように思います。
当時はコンビニ向けの流通がなかったので、デパートや成城石井、紀ノ國屋、ナチュラルローソンのような高級志向のお店しか扱ってくれないだろうなと思っていたんです。ところが想定以上に売れ行きがよく、後から一般のローソンでも売られるようになってびっくりしました。
ローソンと連携し、若者向けのビール需要を掘り起こす
もう1つ、マーケティングがうまくいった事例としては、「僕ビール、君ビール。」(2014年10月発売)があります。これはローソン店頭でのみ販売されている専売品です。
以前からローソンでは、よなよなエールを単発的に取り扱ってくださっていたんです。コンビニ業界で差別化を図るため、若者向けのビール需要を掘り起こしたいという狙いがあったんですね。その1つの形で我々の「よなよなエール」「水曜日のネコ」「インドの青鬼」などが、特にナチュラルローソンで人気を集めていました。
それを受けて一般のローソンでもクラフトビールを扱い始めたのが2013年くらいでしょうか。販売してみると、購買層に意外と若者が多いことが分かったんです。「意外と」というのは、ビールの購買層は40~50代の男性が多いんですね。若い世代はチューハイやカクテル、いわゆるRTD*** と呼ばれる飲み物を好む傾向があります。
そんな中で若い人がうちのビールだけは買っているという。そもそも「よなよなエール」自体、ターゲティングとしては40代前後の方を想定しているので不思議な現象ではあったんですが、ともあれクラフトビールのブームに乗る形で、我々の製品開発で若い人に受け入れられるビールがもしかしたらつくれるのではないかとお声がけをいただきました。そうして開発が始まったのが「僕ビール、君ビール。」だったわけです。
おいしくても記憶に残らない味はNG
企画に先立って、ターゲットとなるであろう、ビールをそれほど飲まない30歳前後の男性数人を社内のツテをたどって集め、1対1でインタビューを行いました。すると「ビールはオジサンの飲み物」というイメージを持っていて、それが敬遠の理由とわかったんです。
確かにビールのメインの購買層は年齢が高めの男性ですが、それにしてもビールに対するイメージの悪さは印象的でした。他の調査データを見ても、例えばウイスキーは「知的」、ワインは「スマート」というようなイメージがあるけれども、ビールは「騒がしい」「イッキ飲み」「やさぐれ感がある」といったネガティブなイメージを持たれていましたね。
ならば、イメージと全く違うビールにすればいいんじゃないかと考えたんです。普通のビールからちょっとずらすだけでは違いが分からないので、思い切って大きく離していこうと。好き嫌いが出てもいいから、個性をはっきり打ち出した方が印象に残りますから。
一番よくないのは「おいしかった、でもどんな味か覚えていない」というもの。「まずい」か、「なんだこれ!? 変わった味だけどすごくおいしい」のどちらかでないといけない。想定の上を行くインパクトがないと、ビールの面白さを知らない人を誘引できないというスタンスで開発を進めました。
クラフトビールファンのトライアルからSNSでの話題作りへ
中身ができて、パッケージには「新しい価値観を教えてくれる友だち」としてカエルをデザインして、いざ販売ということになりましたが、ターゲット層はビールをあまり飲まない方ですから我々には接点がありません。当時の我々のお客様の中心はクラフトビールファンですが、今回はその外側にいる方に飲んでもらいたい。ではどうするかと考えて立てた戦略が、まずはクラフトビールファンの方にトライアルしてもらって、SNSなどで話題にしてもらおうというものでした。
発売の2ヵ月前にリリースを出したほか、ビール関連のイベントや当社の公式ビアレストランやクラフトビール専門店で先行して飲んでいただく機会を何回か作りました。計算すると、そこでのべ2万人くらいのクラフトビールファンにリーチしていたと思われます。
その方たちにとっては、「あのとき飲んだビールがいよいよ発売か」と期待が高まりますよね。それが1つの話題のコアを形成していくことになりました。
モダンアートのようなネコのイラストが印象的な「水曜日のネコ」。
*** 「Ready to drink」の略語で、飲料業界でチューハイやカクテル、ハイボールなどの低アルコール飲料を指す。
スマートでポップなビジュアルの「僕ビール、君ビール。」。
“カエル捕獲大作戦”を打ち出して二段階で情報を伝達
発売当日は、“カエル捕獲大作戦”と銘打ち、「僕ビール、君ビール。」のパッケージのカエルを目印にして、商品を購入したり店頭で見かけたりしたらSNSにアップしてもらうことにしました。
すると、多くの人が画像付きでアップしてくれたんですね。Ustreamで捕獲状況を中継したり、選挙速報のように視覚化したりといった、遊び心のある仕掛けも面白さにつながったように思います。
で、そうやって盛り上がっていると、おのずとファンじゃない人の視界にも入っていくんですね。自分のタイムラインに変なビールが上がってくるわけですよ。「ビール好きのヤツが何か変なビール飲んで盛り上がってるぞ、なんだあれは」と(笑)。
普通のパッケージだったら「あいつ、またビール飲んでるな」くらいの受け止め方でしょうけど、ちょっと感度の高い若者たちは名前もビジュアルもこれまでのビールと違うらしいと興味を引かれて、自分も買ってみようかなとなる。しかもローソンならすぐ入手できますからね。そうやってコアのビールファンの発信をトリガーとして、周縁の方にもリーチできた。二段階で情報を伝達したわけです。
これは別に狙い通りというわけでなく、当時は全くの手探りでした。今調べるとこの類のマーケティング理論はあるみたいですけど、あのときはまずトライアルで話題を作らないといけない、それから発売日に面白い企画を打ち出して、発売したことを少なくとも我々のファンの方には伝えなければということしか念頭になかったというのが実情です。
感度の高いファンの人たちから情報をにじみ出させる
結果的に、マーケティングとして成功したと思ったのは1ヵ月くらい経ってからですね。ローソンのPOSデータなど実績を見て、ああなるほど、こうなっていたのかと分かりました。話題を作るにはこのやり方が定石だったかと。
弱者の戦略じゃないですけど、広告を打てない場合も、熱心なファンからSNSやクチコミで周りに伝播させるのは1つの方法なんですね。我々が直接リーチできないお客様に対してどのようなルートで伝えていくかのモデルになりました。
小売の流通での垂直立ち上げは難しいんです。特に商品がひしめき合うコンビニでは、売れないと判断されれば数日で店頭から撤去されてしまう。「僕ビール、君ビール。」に関してはローソンの専売品だったし、チェーン本部も販売にコミットしてくれましたが、それでも実際に商品を発注するのは各店舗のオーナーさんですからね。オーナーさんにこのビールは売れると感じてもらえたことは大きかったし、その状況を作るためにまずは感度の高いファンの人たちに味わってもらって、そこから情報をにじみ出させる工夫が必要だと感じました。
貴重な学びが得られたという意味で、「僕ビール、君ビール。」の成功は僕の中で1つの転換点になりました。見込み顧客のインタビューをしっかり行ったうえで我々が作りたいもの、伝えたいビールのイメージを明確にして、両者の着地点を探っていく。そこに流通の事情やニーズも加味できれば、高い確度で軌道に乗せられると実感しています。
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(2018.3.9 渋谷区のヤッホーブルーイング東京オフィスにて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kazuhiro Shiraishi
稲垣聡(いながき・さとし)
1976年、東京都生まれ。日本大学文理学部卒業後、リクルートや広告制作会社のコピーライター、ディレクターを経て、2011年入社。よなよなエールのほか、主要製品ブランドのマーケティング戦略、ブランド戦略、新ブランド開発を担当。開発に携わったブランドは「水曜日のネコ」「僕ビール、君ビール。」「月面画報」や、レストラン「YONA YONA BEER WORKS」など。2017年、中央大学大学院 戦略経営研究科修了。