Management
Jan. 7, 2019
未体験ゾーンに飛び込むことがフリーランサーの生存戦略
失敗を重ねて自らのキャパシティを広げる
[竹内薫]サイエンス作家、YES International School 校長
僕は長くフリーランスで活動してきました。サイエンス作家として本を書いたり、テレビやラジオに出演したり、講演したり。ただ、なりたくてフリーになったわけではないんです。
ソ連崩壊のあおりを受けて研究職を断念
大学院で物理学を勉強して、当初はどこかの大学や研究機関に就職して研究者になりたいと考えていました。でも、僕が大学院を出る直前にソ連が崩壊。優秀なロシアの物理学者が西側に流出したあおりを受けて、就職活動は全滅しました。僕も同級生も、この時期に研究者を目指した人はみんな惨敗で、100か所に打診して成果がゼロだった人もいます。これは困ったということで仕方なく始めたのが、本を書くことだったんです。
自分でテーマを設定して書くうちに、次第に翻訳も手掛けるようになり、何とか暮らせるくらいの稼ぎは得られるようになりました。
ところが次に起こったのがバブル崩壊で、出版業界も景気が急降下しました。追い打ちをかけるように中古書市場が急成長して、印税収入がガタ落ちしていきます。デジタル化が進んでインターネットに無料のコンテンツがあふれるようになったことも出版業界低迷の原因でしょう。
それでまたピンチとなったとき、本を読んだというテレビのプロデューサーが声をかけてくださって、テレビに出演することになりました。それが『たけしのコマ大数学科』*。僕にとって大きな転機でした。
尻込みする場に自分を追い込むことでキャパが広がる
とはいえ、テレビ出演はもちろん、人前で話すことは僕にとって未体験の分野でした。それまで、ただ閉じこもって本を書くだけでしたからね。喋ることは大の苦手で、パーティーに出ようものなら誰とも話せず、すみっこでちびちびビールを飲んでいるタイプだったんです(笑)。
知らない世界に飛び込むことには不安も恐怖もありました。でもやってみても死ぬわけじゃない。分からないことは聞けばいいし、失敗して散々な目に遭ったとしても、この世界が自分に向いていなかったということが分かれば、それはそれで収穫でしょう。そういう発想で、とりあえず出てみようと思ったんです。
出演を重ねるうちにだんだん慣れていったけれども、生放送はまた別の試練でしたね。最初は心底怖かったですよ。視聴者は何百万人。カメラが寄ってくる、照明がカッと照らされる。心臓がバクバクする。でも始まったら肚を決めてやるしかないし、いざ始まったら何とかなっちゃうものなんです。
尻込みしちゃうような場に、あえて自分を追い込むことでキャパが広がっていくんです。人格が変わるわけじゃないですよ。パーティーはいまだにダメですし(笑)。でも人前で話すことに気後れがなくなったし、講演会で千人を前にしても落ち着いて話せるようになりました。
失敗を繰り返して徐々に良くなるのが人間の成長の仕方
自分にとって未知の分野のオファーが来たとき、「怖いからやめる」「失敗してキャリアに傷がつくのが嫌」と言って断る人がいますよね。気持ちは分かるけど、怖いものこそやってみるのがいいんじゃないかなあ。
確率的に半分は失敗するわけですが、でもそこに自分に向いたものがあったり、そのチャレンジを通じて自分が変わることもあります。僕はまさにそれをテレビ出演を通して実感しました。
冒険することで壁がクリアされるとマインドが変わって、それまで苦手意識を持っていたこともできるようになるんです。その過程で手痛い失敗もするでしょう。僕自身、全国放送で口を滑らせて変なことを言ってしまったこともあります。でも、そういう失敗はみんなあるし、失敗を繰り返して徐々に良くなるのが人間の成長の仕方なんです。失敗することで成長していくと思えば挑戦意欲も湧いてきます。
キャラクターとして認知されれば失敗も味になる
ラジオ番組** でナビゲーターを務めたときも、やっぱりいろいろ失敗しました。でも、それ以上に得るものはたくさんありました。
ラジオ出演の打診を受けたときは驚きましたね。「マジか!? 何で俺に?」と(笑)。きっかけはプロデューサーが僕の本を読んで面白がってくれたことだったんですが、ニュースや台本を読むなんて、アナウンスの訓練も受けていないし到底無理と思いました。でもしばらく考えて、結局引き受けたんです。せっかくのチャンスだからやってみようかなと。
それでやってみたら4年半続きました。続けてみて分かったのは、リスナーはニュース原稿を完璧に読む人のラジオを聞きたいわけではないということ。番組を通じて聞き手と話し手の距離感が縮まって、いい時間を共有できたと感じられる、そういう喋りをしてくれる人が好まれるそうです。
声の質も番組のテイストに合っていたようです。元気ではきはきした喋りがウケるとは限りません。もごもごした僕の話し方を、「優しい」「穏やか」と好意的に受け止めてくれる人が結構いた。やってみないと分からないことって本当にあるんです。
思い起こせば、自分が中高生の頃聞いていた深夜ラジオも、完璧なアナウンスを求めていたわけじゃないんですよね。誰かが他愛もない話をしていて、それが何となく面白い。自分だけの世界に浸れる、そういう時間を提供するのがラジオの価値でもあるということです。
だから言葉に詰まったり、言い間違えたりするのもいいんです。こちらは恥ずかしいし心的ダメージを負うけど、聞く人はそれさえも楽しんでくれる。キャラになってしまえば失敗も味のうちということですね。
待ったなしで現場に投入されるのがフリーランス
ラジオを始めて1年くらい経ったとき、「喋りにのりしろが足りない」とプロデューサーに言われました。
パッと喋ってきれいにまとめて、次の話題に行く。それもいいけれども、途中をつなぐ何かがあると、すごく聞きやすくなると言われて、勉強になりましたね。
のりしろは何でもいいんです。前の話題を発展させたもの、次の話題とちょっと重なるようなものでもいいし、何ならうちの猫の話でもいい。情報としては必要ないけれども、リスナーが親しみを持ってくれるような話題です。ラジオの進行ではそういうノウハウがあるんですね。そういうことも全て、やってみて初めて分かったことです。
プロになるにはいろんな道があって、オーソドックスな方法は組織に入ってその道のプロの指導を受けながら徐々に現場に投入されることでしょう。でもフリーランスはそんなプロセスを踏まず、待ったなし。生放送も講演会も、いきなりその場に立つわけです。泳げないのにプールにドーンと落とされるようなものですよね(笑)。でも必死にもがくうちに泳げるようになります。それを信じて、声がかかったらなるべく受けて立つのがいいと思います。
竹内氏のウェブサイト。
http://kaoru.to/
YES International School(イエスインターナショナルスクール)は横浜校(2016年4月開校)と東京校(2018年5月開校)がある。
横浜校では英語、日本語、プログラミングという3つの言語で、論理的な思考力、創造力、表現力、コミュニケーション能力を育む「トライリンガル教育」を実践。放課後学童クラブ「Trilingual Kids(トライリンガルキッズ)」も展開している。
東京校は、ホームスクールや不登校の子どもたちの居場所。プロジェクトベースドラーニングで好奇心から課題を設定し、各界の専門家のサポートを提供することで自発的な学びを促す。
https://yesinternationalschool.com
* 『たけしのコマ大数学科』
2006年4月~2013年9月までフジテレビ系列で放送。ビートたけし氏や現役女子東大生らが高校レベルの数学の問題に挑むという内容。竹内氏は番組の監修を務めたほか、特別顧問として出演もした。
『たけしのコマ大数学科』のほかにも、NHK Eテレ『サイエンスZERO』ナビゲーター(2012年4月~2018年4月)を務めるなど、テレビでの活躍の場を拡大。2018年11月現在は、TBS系列『ひるおび!』でコメンテーターとして出演している。
** J-WAVEの『ジャムザワールド』。生放送の時事解説番組。ナビゲーターは日替わりで、竹内氏は2007年4月~2011年9月、金曜(当時)のナビゲーターを務めた。
フリーランスとは野生の世界を生きること。
孤独で危険もあるけれど自由になれる。
フリーランスという働き方を選ぶということは、たとえるならば野生の世界に飛び出すようなものです。
組織は城壁に守られたセーフティゾーンです。小学校、中学校、高校、大学、会社と、多くの人が安心できる環境を求めてお城の中へと入っていく。確かにそこは安全ではあるけれども、人工的に守られた組織という場には、規則もあるし人間関係の複雑さもある。そういうものに対処するのが得意な人がいる一方で、息苦しさを感じる人もいるわけで、そんな人には開かれた野生の世界の方が生きやすいということです。
城壁の外側にも世界は広がっています。そこはワイルドで、時には危険にさらされることもあるかもしれません。けど、規則も密な人間関係もなく、自由です。組織に守られる安心感も後ろ盾もない、保障もない。リスクは全て自分で背負うけれども、木の実を拾ったり狩りをしたり畑を耕したりしながら食いぶちを得て、好きなように生きていくことができる。
どちらがいいか悪いかでなく、向き不向きの問題だと思います。組織内でも生き残るには相応のサバイバル術が必要。それぞれのサバイバル術を蓄積して、のびのびと心地よく生きていけることが重要です。
新しい仕事のフィールドを見出すために〝移るクセ〟を持ちたい
フリーランスで仕事をしていくには、自分の武器となる得意分野があった方がいい。できれば複数ほしいですね。1つだけではそれが崩れたときに頼れるものがなくなってしまいます。仕事の柱をいくつか持っておくことはリスク分散の意味もあるし、自分が安心できる居場所を維持するという意味でも心掛けたいところです。
野生の中で生きていると、食べ物のある場所は状況で変わるものです。こちらが干上がってきていると思ったら、自発的に別の場所に動いていかないといけない。一か所で食べ物がたくさん取れるからといって、そこに安住するのは危ないです。おまけに人工知能やロボットが人間の仕事の半分を肩代わりする時代が来るとも言われます。それを考えると〝移るクセ〟があった方がいいですね。
常に未知の体験があって、これも意外と仕事になるな、これでも食べていけるなというのを少しずつかじりながら、イケそうだと思ったら少しずつボリュームを大きくしていくのが、フリーランスの賢い生き方ではないでしょうか。
ただ、自分のアイデンティティとなる軸は維持しないといけません。僕はサイエンス作家の肩書でテレビに出ているし、講演も依頼されるので、その根幹は続ける必要がある。樹木にたとえれば、幹は維持しつつ、枝葉の部分を広げる努力をしていくということです。
みんながクリエイティブになって、プロセスをわかちあう
枝葉を広げるには、社会との窓口や接点を積極的に作っていく必要があります。僕は芸能事務所にも所属させてもらっているし、「講演依頼.com」に登録もしています。ツイッター、フェイスブックなどのSNSもやっています。どこでお客さんに会えるかわからないので、できることはしておきたいですね。
効用として面白いのはツイッターでしょうか。僕にとってツイッターは宣伝の道具だけではないんです。気が向いたときに好きなことをつぶやく、いわば息抜きのツール。言い換えると、まだ形になっていない思考の種をメモするような機能を果たしているわけです。それが編集者の目に留まって連絡をもらうこともあります。
不思議なことに、まだ形が定まっていないアイデアの方が企画として通りやすいんです。なぜかというと、僕のアイデアにいろいろと肉付けをすることで、編集者のクリエイティビティが発揮されるからなんでしょうね。こちらが全部お膳立てしたものを渡すのではなく、編集部がクリエイティブになれる部分がないと仕事が進まない。
テレビの企画もそういう面があります。出演者がアイデアを出して、制作陣がそれを加工して企画が動いていく。本も番組も、みんながそれぞれの立場でクリエイティブになって、プロセスをわかちあうからうまく行くんです。参画意識を持って、みんなが感動できないと仕事は進まないんですね。
このスタイルはまさにオープンイノベーションというべきもの。分野を超えてみんながオーナーシップを持って協働することで、新しい価値が生まれるのだと思います。
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(2018.10.10 YES International School横浜校にて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kazuhiro Shiraishi
竹内薫(たけうち・かおる)
1960年、東京生まれ。東京大学卒。McGill大学大学院修了。専攻は科学史・科学哲学と理論物理学。理学博士。『99.9%は仮説』(光文社新書)ほか多くの著書を刊行するかたわら、NHK Eテレ「サイエンスZERO」ナビゲーター、TBS系「ひるおび!」コメンテーターなど、テレビやラジオでも活躍。2016年4月に日本語、英語、プログラミング言語を中核にすえた「YES International School」と放課後学童「Trilingual Kids」を開校、校長に就任。