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スタートアップは顧客の「不」を解消するための実験である

自分ごとの課題に切り込むことで価値を生み出す

[田所雅之]株式会社ユニコーンファーム 代表取締役社長/CEO

日米で計5社を起業し、シリコンバレーのベンチャーキャピタルでスタートアップ企業の評価にも携わってきました。これまで評価してきた企業は3000社以上に上ります。

こうした起業・投資の経験を踏まえて、起業家が直面する課題とその対策を整理したスライド集「スタートアップサイエンス2017」を公開したところ、全世界で約5万回* シェアされるほどの反響を得ました。『起業の科学』はこのスライド集をベースにした書籍で、起業家やそのタマゴたちだけでなく、社内でイノベーションを起こしたいと考える企業や、経営改革に取り組む企業からも高い評価をいただいています。

スタートアップ型とスモールビジネス型で事業は異なる

事業はスタートアップ型とスモールビジネス型に大別できますが、やり方が全く異なります。というのは、「課題」に対するアプローチが違うということです。

スタートアップの命運を分けるのは、市場に送り出す製品なりサービスなりが、顧客から熱狂的に愛されるかどうかです。つまりプロダクト・マーケット・フィット(Product-market-fit:PMF)を達成できるかどうかなんですね。多くのスタートアップが手持ちの技術やノウハウを元に事業を構想しますが、これはプロダクト・ミー・フィット(Product-me-fit)でしかありません。

PMFを実現するには、良いビジネスアイデアがなければなりません。では、良いビジネスアイデアがどこから生まれるかといえば、それが「課題」なんです。「その課題は顧客が心底解消したいと思っていることなのか」「妥当な代替案はすでに市場に存在していないか」といった具合に、さまざまな角度から検証して課題とその解決策を深めていくのです。

スモールビジネス型の場合、既に検証された課題があります。それに対してより良いものをより安く、より良いチャネルでデリバリーするわけで、いわば持続的イノベーションに類します。一方のスタートアップ型は、課題の検証から始まります。課題がそもそも存在するかどうかも分からないところから手探りで課題を見つけ、事業アイデアへと昇華させないといけない。新規事業や起業というと何か新しいことをやればいいと大雑把にとらえられがちですが、型によって明らかな違いがあるわけです。

自らの経験から起業の正しいコンパスを作ろうとした

世の中に事業創出を指南する本は数多くありますが、こうした本質的な違いを踏まえた本はこれまでなかったし、そもそも事業のステップごとに部分最適化してしまっているんですね。プロダクト開発、ユーザーエクスペリエンスの最適化、チームメイキング、ファイナンス、組織改革といった側面がバラバラに説明されていて、包括的に作られていないんですよ。

起業の正しいコンパスがないために、起業家は試行錯誤しながら進んでいくしかない。スタートアップでは小さな意思決定のミスが命取りになるので、それでは困るわけです。自分自身の起業経験を振り返れば、こういうガイドがあればもっと効率よくことが進められたはずだし、シリコンバレーのベンチャーキャピタルでも無駄なことにリソースを費やす多くのスタートアップ企業を見てきました。これは社会的損失に他なりません。

そこで、起業ではどんな問題に直面し、起業家はそれにどう向き合えばいいかという具体的な指南書を作ろうと考えました。自分の知見やノウハウのほか、5年に渡って1000人以上の起業家、投資家などとの交流から得た教訓も盛り込んで、スライド、そして書籍にまとめたというわけです。

自分自身が課題の一番の専門家となる

いま僕が顧問やパートナーを務める日本企業は10社以上ありますし、企業での講演も多く手掛けています。中には『起業の科学』を100~1000冊の単位で購入して、新規事業開発に取り組む企業もあります。この本をきっかけに起業した人も2000人は下りません。国内では起業の指南書のスタンダードになっている感があります。

これほどの反響を得ているのは、『起業の科学』という本が、まさに課題ドリブンで作られたからだと思います。事業で取り組む課題は「自分ごと」であるべきだというのが『起業の科学』の1つのテーゼです。自分が当事者であったり、あるいは当事者でなくても強く共感できる課題ならば妥協しませんよね。高い専門性をもって、市場や環境の変化にも即応できるわけです。

言い換えれば、自分自身がその課題の一番の専門家であるということ。僕は誰よりも起業を成功させたいと考えて、じゃあどうすれば確度を高められるかという課題を当事者として設定しました。それが本として結実し、一定の評価を得ているということは、自分ごとの課題に深く切り込むことで社会にインパクトを与える価値が生み出せるのだという主張が間違っていないという証左でもあると思います。


株式会社ユニコーンファームは、「ユニコーン企業を1000社輩出する」ことをビジョンに掲げ、イノベーション創出に向けた研修、アドバイスなどを行うスタートアップ支援会社。2017年設立。
https://www.unicornfarm.jp/



* 2017年当時。2019年3月現在、スライドのシェア回数は約7万回に上っている。


『起業の科学』(日経BP社、2017年)は、Amazonの経営戦略部門の売上ランキング71週連続1位(2019年3月)。英語版、台湾語、中国語、韓国語、ベトナム語が刊行されているほか、アラビア語やスペイン語、タイ語などでも刊行予定。2019年2月にはエッセンシャル版の『入門 起業の科学』(同)が刊行された。

「不満」「不便」「不安」「非効率」といった
顧客の「不」を顕在化して課題を抽出

日本ではベンチャーという言葉の定義があいまいで、スタートアップ型とスモールビジネス型が混在しているがために、顧客の課題を検証することなく手元のソリューションから事業を始めてしまうことが非常に多い。PMFを達成する前に、PL改善にこだわって失敗するスタートアップが8割を占めるという印象です。

課題を見出すポイントは「不満」「不便」「不安」「非効率」といった、顧客自身も言語化できていない「不」の要素を明らかにすること。それに対してしかるべきユーザーエクスペリエンスを設計することで、価値の提供を図るわけです。

新規事業というのは「事業」でなく「実験」と考えるべきです。事業ととらえた瞬間にPLが重視されてしまう。まずは課題を見つけて、そこから導き出されたプロダクトが市場にフィットするかを検証することが大切なのに、先に市場を決めようとする、その時点でアウトです。

前に進んでいる感覚が欲しいので、市場規模や潜在顧客を把握したいという気持ちは分かりますが、それは錯覚でしかありません。答えがなかなか出ない宙づり状態の実験に粘り強く取り組んでいく。できるだけ前提条件を減らして無駄を排除しつつ、小さな市場でアーリーアダプターと言われる人たちに試してみて、定量的にヒアリングをしながら本当にそのプロダクトが課題に刺さるものかどうかを検証する。そういう地道さがスタートアップの立ち上げでは必要なんです。

スタートアップのファウンダーに必要なのは「論語」と「そろばん」

一方で、プロセスさえ正しければいいというものでもないんですね。事業推進のマネジメントにはさまざまな要素が問われますし、特に人をどう巻き込むかという点で心得なければならないこともある。スタートアップのファウンダー(創業メンバー)が備えるべきコンピテンシーは7つあります。

今の時代というのはどういう体験を作るかなんですよ。どんな「不」を解消する体験を顧客に提供するかを見極めてから、ユーザーストーリーを作って市場へ伝えていくわけですが、まずストーリー作りにおいては、顧客にどんな「不」があるかをあぶり出す「Story Finder」、その「不」を解消する体験をデザインする「Story Designer」、エコシステムの活用も含めて具体的な技術や知見でユーザー体験を実現する「Story Builder」の要素が必要です。

次いで、作ったストーリーをどう打ち出すかという面では、開発した製品を適切なチャネルで広める「Story Marketer」、ビジョンを伝えてメンバーやパートナー、投資家を引き入れる「Story Teller」がいなければなりません。

加えて、折々に必要なヒト・モノ・カネを集める「Strategist」や、チームのモチベーションを高めながらメンバーの能力を最大限引き出す「Catalyzer/Team Builder」(触媒的なチームビルダー)の要素も不可欠です。

言ってみれば「論語」と「そろばん」ですね。ただ単に儲けだけを目的とするならば、スタートアップは長期的に大きくならないでしょう。「不」を解消することへのこだわり、顧客を喜ばせたいという原点のしっかりした思いがないと、ちょっと強い波が来ただけで崩れてしまいます。

その意味でも、スタートアップで取り組むことは自分ごとであるべきなんです。自分自身が一番の当事者であればこそ、グリッド(やり抜く力)もおのずと強化されます。起業では使えるものは何でも使わないといけない。そのときに自分ごとのストーリーは一番の武器になると思います。

この先にたどり着けるのは世界で自分だけという使命感

自分自身の起業を振り返ると、最初は甘かったですね。起業するために起業していた感があります。ただ、今は違います。『起業の科学』も僕はスタートアップの感覚でやっていますけど、読者という顧客の存在をじかに感じられることがうれしいし、講演で聴衆がこの本に価値を感じてくれていることもひしひしと伝わってきます。それは金銭的なことより明らかにモチベーションになっています。

ユーザーの声が聞ける、感謝されるということはモチベーションアップの特効薬で、もっとやろうという気力が湧いてくるんですね。起業を科学的、体系的にとらえるということに関して、この先にたどり着けるのは世界で僕しかいないと思う。それくらいの使命感を持ってやっています。

同じような思いを、おそらくマーク・ザッカーバーグもセルゲイ・ブリンもイーロン・マスクも抱いているはずなんですよ。自分にしかできないことがそこにある。だから挑むんだということ。つまり自己実現欲求のその先です。

事業だけでなく社会貢献も追求した先に大きな成功がある

マズローの欲求5段階説** では自己実現欲求が最上位にあるとされていますけど、僕はその上に6番目の利他欲求があるんじゃないかと思います。

事業家というだけでなく、公人として本当に社会貢献できるところまで考える、あるいは最大数の他人の幸せを最大化する。そういうところまで持っていかないと、結局のところ大きな成功は望めないだろうし、それこそユニコーン企業を生み出すこともできないでしょう。

もちろん最初は自己実現でもいいんです。初期のスタートアップはエゴの戦いですし、資金がバーンしてしまうリスクもあって、生きるか死ぬかを賭けた戦いのフェーズもくぐり抜けなければならない。心身の発達が急激かつ不安定な思春期は自分のことだけで精一杯で、世の中に貢献しようなんていう余裕がないのと同じですよね。

けど、例えば上場のタイミングだとか高いレベルでPMFを実現できたといった節目にトランスフォームするわけです。年を取って経験を積むと、見えてくる世界も変わってきますよね。事業の成長って人間の成長と重なるものだと思います。

WEB限定コンテンツ
(2019.1.23 千代田区にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Kazuhiro Shiraishi

** 人間の欲求は、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の順に満たされるとマズローは説いた。

田所雅之(たどころ・まさゆき)

1978年生まれ。大学を卒業後、外資系のコンサルティングファームに入社し、経営戦略コンサルティングなどに従事。独立後は、日本で企業向け研修会社と経営コンサルティング会社、エドテック(教育技術)のスタートアップの3社、米国でECプラットフォームのスタートアップを起業し、シリコンバレーで活動した。日本に帰国後、米国シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。また欧州最大級のスタートアップイベントのアジア版、Pioneers Asiaなどで、スライド資料やプレゼンなどを基に世界各地のスタートアップ約1500社の評価を行ってきた。日本とシリコンバレーのスタートアップ数社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めながら、ウェブマーケティング会社 株式会社ベーシックのチーフスラテジーオフィサーを務める。2017年、株式会社ユニコーンファームを設立。 作成したスライド集『スタートアップサイエンス2017』は全世界で約7万回シェアという大きな反響を呼んでいる。‎著者「起業の科学」は発売以来、Amazon経営書74週連続売り上げ一位を継続している。

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