Foresight
Aug. 13, 2019
保守・リベラルと似て異なるアメリカの第三極「リバタリアニズム」
自由市場・最小国家・社会的寛容を重視
[渡辺靖]慶應義塾大学SFC 環境情報学部 教授
保守やリベラルといった従来の枠組みではとらえきれない、個人の自由を徹底的に追求する「リバタリアン」(自由至上主義者)が、アメリカ社会、中でも若い世代で存在感を増しています。
個人の自由や所有権を起点に社会のあり方を考え、個人の幸せにとって一番いい状況を目指すというのがリバタリアンの基本のスタンスです。細かいところでは立場や解釈によって違いはありますが、最大公約数としては、「自由市場」「最小国家」「社会的寛容」を重んじる姿勢が挙げられます。
市場にはできるだけ国家は介入するべきでない、規則や規制は極限まで排除すべきだというポリシーのもと、彼らは自由な市場の形成を目指します。また、国家や自治体などの公権力を最小化することで、個人の自由を極大化しようとします。さらに、個人の生き方は本人が選ぶべきものであり、民族や人種、宗教で可能性を閉じてしまうようなことは許されないという意味で、社会的寛容も掲げているわけです。
社会の厳罰化や軍備拡張に前向きな保守派も、公共事業や規制強化に積極的なリベラル派も、どちらも「大きな政府」を目指す点で、個人の自由を追求するリバタリアンの思想とは相容れません。ある面ではリベラル、ある面では保守ではあるものの、リバタリアンはそのどちらにも与しないという立場なのです。
リバタリアンの思想的位相は以下のように位置付けられます。アメリカでリバタリアン党を結成したデヴィット・ノーランが作った、ノーラン・チャートと呼ばれる概念図ですが、経済的自由を重視するという意味では保守、個人の自由を追求するという点ではリベラルで、共和党・民主党と部分的に重なるところがあります。対極にあるのは権威主義ということです。
慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部は、先端科学やテクノロジーを活用して未来のグローバル社会をつくる人材の育成に取り組む。
https://www.sfc.keio.ac.jp/
リバタリアニズムのコンセプトを抵抗なく受け入れる若年層
社会的寛容という面では、ミレニアル世代の特徴と重なる部分もあります。上の世代と比べると、ミレニアル世代は自分と異なる国や民族、宗教などに対してオープンですよね。国際結婚への抵抗感も薄いし、LGBTQなど性的多様性も認める傾向がありますし、人工妊娠中絶にも比較的寛容です。こうした点はリバタリアンの価値観と合っています。若い世代の後押しは、アメリカのリバタリアニズム台頭の背景にあると思われます。
一方で、アメリカならではの事情として、政府が社会に規制を加えたり、あるいは社会を主導していったりすることの限界が見えていることも指摘できるでしょう。とりわけ今のアメリカ政府は財政赤字を抱え、従来型の福祉国家を運営していくことは難しいと国民も感じている。できるだけ民間や市場の力を活用しながら国家運営していこうという風潮が根強く、特にミレニアル世代にとって現実的な課題になっているわけです。
若い世代はインターネットとの親和性が強く、例えばUberやAirbnbのように、政府の規制から少し離れたところでコミュニティを作ることが得意です。上から規制されずに、ネットユーザー同士で相互信用の仕組みを作り上げたり、暗号資産やブロックチェーンのような形で相互認証するシステムを作ったりすることで、新たな価値が創出できることも分かっている。国が発行する通貨と違うもので経済を動かせるということで、最小国家あるいは自由市場というコンセプトも若者の間で比較的抵抗なく受け入れられているのだと思います。
ユートピアとしての福祉国家像を描くことはもはや無理があるし、一方で今はインターネットでいろんなことができるし、可能性も開けている。個人のライフスタイルを誰かが抑え付けるとか、特定の方向に導いていくことには違和感を覚える。そういう発想は日本の若者にも共通しているように感じます。
民主・共和両党への不満がリバタリアニズム浸透の背景に
リバタリアニズムという概念自体は、とりたてて新しいものではありません。思想や哲学の分野では1970年代くらいから取り沙汰されていました。アメリカのリバタリアン党も創設は1971年と、それなりの歴史があります。
ただ、アメリカ社会や、とりわけ学生や若い世代に浸透し始めたのは2000年代からです。
理由としては、まず既存政党に対する幻滅や不信感の強まりが挙げられるでしょう。アメリカはリベラル派の民主党と保守派の共和党がありますけど、2つの党がともに機能してないのではないかという二大政党制に対する不満がくすぶっています。
民主党はリバタリアンと同じくリベラルという点では一致しているものの、規制強化や公共事業など公権力の介入を積極的に推し進めようとしています。そういう意味では大きな政府なんですね。共和党は建前では小さい政府を謳うけれども、一方では、犯罪者に対する罰則を強化しよう、あるいは軍事拡大をしようという点で、実は政府の権限を大きくしようとしている。民主・共和、両党とも基本的に政府に依存していたり、権限を拡大させている部分があって、そこに不満を持つ層が次第に増えていったわけです。
同時に、2000年ぐらいからインターネットを使った選挙戦が行われるようになり、例えばロン・ポール* のようなリバタリアンの政治家のメッセージに共鳴する学生が増え、各大学に活動支部ができていった。そうやって、ここ15~20年で市民権を得ていったという流れです。
今、アメリカの主だった大学にはリバタリアン系の学生組織がたいていあります。理工系の人々には馴染みやすいようで、例えばMIT(マサチューセッツ工科大学)での2011年の学内調査によれば、学生全体の2割が回答して、そのうち23パーセントが自らをリバタリアンと認識しているという結果が出ています。アメリカ全体では、有権者全体の10~12パーセントがリバタリアンと自己認識するか、あるいはそれに共鳴する人と言われますので、それに比べると高い比率であることが分かります。
次の大統領選では、ミレニアル世代が有権者の最大ブロックに
リバタリアン党は弱小政党で、党員の投票率は0.5パーセント程度しかなく、政界の存在感はほとんどありません。とはいえ、2012年にバラク・オバマ氏が再選した大統領選挙では1パーセントまで上昇。トランプ大統領が勝った2016年の選挙では3.3パーセントぐらいまで上がっています。
大多数のリバタリアン的な人は共和党、民主党それぞれにいます。どちらかというとやや共和党のほうに入ってる人のほうが多い感じはあります。激戦州では1パーセントとか0.5パーセントの票が雌雄を決することもあるので、そういう意味ではリバタリアンの有権者がキャスティングボートを握っている面はあるでしょう。
リバタリアン党が二大政党に食い込むことはないにせよ、有権者の間で地殻変動が起きていることは事実ととらえてよさそうです。もちろん、ミレニアル世代も十把一からげにできるものでなく、中には右翼的な白人至上主義に走る人もいれば、社会主義的なメッセージに呼応する人もいます。両極端のところは報道されることが多いけれども、実は真ん中にいる本流の潮流は意外と注目されない。そのサイレントマジョリティともいうべき層に、リバタリアニズムへの共振現象が見て取れるということです。
2020年の大統領選では、ミレニアル世代が有権者としての最大ブロックになります。年齢的には38歳前後ですね。これから恐らく20年くらいは彼らがますます社会のいろいろな分野をけん引していくことになるでしょうし、社会的、経済的なトレンドも作り上げていくことになると思われます。
(『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』(中公新書)p.83の図版を元に作成)
渡辺氏はトランプ政権誕生後のアメリカ各地を訪れ、リバタリアニズムの広がりを目の当たりにしてきた。その模様は著書『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』(中公新書)にまとめられている。
* ロン・ポール(Ron Paul)
1935年生まれ。アメリカの元連邦下院議員。共和党(1976~88年)からリバタリアン党(1988年~)へ移籍。2013年に引退。
トランプ政権のワンマン的な手法に対する不満の声は、身内である共和党内からも上がっている。連邦下院議員でリバタリアンのジャスティン・アマッシュ(Justin Amash、1980年生まれ)がトランプ大統領の罷免、弾劾を主張しているのだ。
「アマッシュ議員は共和党からリバタリアン党へ移って大統領選に出馬する可能性をちらつかせています。彼が大統領になる可能性はないけれども、しかし共和党側から票をいくらか奪う可能性はあるでしょう」(渡辺氏)
リバタリアンの集会はまるで産業展示会。
イノベーションとの相性の良さも感じさせる
実際、アメリカではリバタリアンの価値観にマッチするような商品やサービスも現れています。例えば、ニューヨークではセルフサービスやカスタマイズサービスを打ち出す飲食店などが増えていて、それはユーザーの自由意思の尊重、購買の選択肢の提供とも受け取れます。
全米各地で開かれるリバタリアンの集会では、会場でさまざまな製品やサービスが展示されます。見ていくと、特にIT企業やサービス企業は、個人の趣向に沿ったものを提供するところが多いですね。また、暗号資産や金を販売するブースもあります。リバタリアンの中には国が通貨を発行していることや、中央銀行が市場に介入することに反対する人もいるからです。
さらに、インターネットが日本以上に当たり前になっているので、動画撮影はもちろん、ポッドキャスティングで会場の様子をレポートする人もいます。ネットを通じたアウトリーチがごく当たり前になっているわけです。
そういう意味では技術力の高い人が集まっているという印象を受けますし、イノベーションとの相性の良さも感じさせます。GAFAを筆頭とするテック系企業の思想とも近いものがありますね。先ほどMITについて触れましたけど、サイエンス系の人は国境を越えて協働したり事業展開したりすることも多いので、リバタリアニズムと親和性が高いのはそういうことなんだろうと思いますね。
徴税や福祉政策には慎重な姿勢を示すリバタリアンが多い
リバタリアンは政府が税金を取ることも搾取と考えます。
例えば、私がAさんの家に押し入って物を盗んだら犯罪です。でも、みんなで徒党を組んでAさん宅に行き、毎日お金を5,000円取ることを合法化すれば罪に問われませんよね。税金とは極端に言えばそういう仕組みで、国による合法的な搾取であるとリバタリアンは考えているのです。
福祉にしてもそう。国民から徴収したお金を困っている人に渡すことは、果たして本当に善なのか。相手が本当にお金を必要としているのか、それとも怠けているだけかは分かりませんし、あるいはお金を渡すことで本人の自立や再起の気概をむしばんでしまうかもしれない。そういう理屈で、国や自治体による徴税や、その大義名分となる福祉に対して慎重な姿勢を示すリバタリアンが多いです。
同じことは国際援助にも言えて、アメリカ政府のお金で途上国を支援するのは、国民から税金を奪い取って、それを単にばらまくだけではないか、途上国の人々の自立につながらないばかりか、むしろ状況を悪化させて依存を強めるだけではないかという主張もあります。
もちろん、他者の窮状に無関心でいるべきというわけではないし、政府が全く援助すべきでないと言っているわけでもありません。リバタリアンの考えは、国が主導するのでなく、BOPビジネスのような形で民間に任せるべきだというもの。例えば商品を小分けにして安くすることで、貧しい人々の中にマーケットを作る。市場メカニズムが働けば人々の参入が見込めますし、より良い商品が出回るようになります。そうやって経済成長できれば国としての自立を促すことになるし、ビジネスとしても成功する。それが彼らが考える国際支援の理想像なんですね。
民間企業でも、自由をおびやかす存在には反発
できるだけ当事者のイニシアチブを引き出すために民間の力を活用する、それは医療系ビジネスや社会起業、シェアエコノミーなどにも通じる話です。消費者や一般市民には良心があり、そこをうまく引き出す製品やサービスを打ち出せば、おのずと求心力を持つだろうと。その方が政府が規制するよりはるかにいいという考えですね。
これに対して市場原理主義だとか市場万能主義といった批判もありますが、リバタリアン自身も現状の市場主義を全肯定はしていません。市場主義とか資本主義といっても、実際は政府や中央銀行、政界、利益団体などと、依存やなれ合いの関係ができているじゃないかと。いわば現状は縁故資本主義であり、本来あるべき資本主義から逸脱している。だから、そのゆがんだ部分をできるだけ排除していかなければいけないというのがリバタリアンの考え方です。
GAFAにしても、ビジネスのビジョンや原則はさておき、あまりにも今は大きくなり過ぎて、かえって個人の自由を損なうのではという懸念が出ていますよね。また、市場を独占するような状況もリバタリアンは良しとしていません。そういう意味では民間なら何でもバンザイというわけでなく、ある種の警戒心も持っているわけです。
かつて世界の市場を席捲していたマイクロソフトが今は鳴りを潜めているように、GAFAもいずれは勢いを失っていくでしょう。より良い企業が出てきて主役が交代するのもまた市場の原則です。政府が規制するよりはある程度市場原理に任せていったほうが良いということで、政府よりはGAFAのほうがまだましだと。今の資本主義に対して、リバタリアンはそういうクールな見立てをしているわけです。
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(2019.5.23 港区のコクヨ東京品川SSTオフィスにて取材)
text: Yoshie Kaneko
photo: Kei Katagiri
リバタリアンはオバマ・ケアには明確に反対している。連邦政府による均一のスキームは、個人の事情を鑑みない画一的な政策でしかないというのがその根拠だ。
「福祉事業もできるだけ民営化して、より良いサービスを競い合って開発していったほうがいいと、彼らは考えているのです」(渡辺氏)
渡辺靖(わたなべ・やすし)
1967年、札幌市生まれ。慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部 教授、政策・メディア研究科委員。1997年ハーバード大学大学院博士課程修了(Ph.D.社会人類学)。ハーバード大学国際問題研究所、オクスフォード大学シニア・アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを経て、2005年より慶應義塾大学SFC教授。専門はアメリカ研究、文化政策論。日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。著書『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』(中公新書、2019年)、『アフター・アメリカ』(慶應義塾大学出版会、2004年、サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞、義塾賞受賞)など多数。