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社会の重心は中央から「地方」「ネットワーク」へシフトする

全体のアーキテクチャを設計できる人材の育成を

[若林恵]株式会社黒鳥社 コンテンツ・ディレクター

前編でインドのデジタルインフラ「インディア・スタック」について、インド政府が低コストで最大限の効果を発揮していると説明しました。そういう小さくて大きい政府を実現しようとするなら個人IDがあることが大前提なんですが、その一元管理を誰が行うかが問題です。

通貨や納税の問題もあるから、その主体はおそらく国ということになるんでしょう。IDのシステムは国全体で1個のものでないと、データの整合性が取れないからです。

IDをデジタル化した先には、レシートと領収書と請求書のデジタル化がやってくるので、となるとそれも国が管理することになります。そもそもお金がデジタルでやりとりされるという前提があったときに、そこでレシートと領収書っていうのがちゃんと規格化されて、みんなが使えるようになると、会計から納税までのデータ処理がスムーズに連動できる。それがデジタルガバメントの基礎でもあるんです。

所得はそもそも国に把握されているわけで、個人データの管理を国に任せることで監視国家と批判するのは的を射ていないと思うけれども、ともあれその管理について国にどこまで権限を持たせるかということは、これから現実的な議論になってくるでしょうね。

地方政府=国の出先機関という考えを改められるか

個人のIDを中央政府が管理するとしたら、その中央政府を監視する役目を誰が果たすのかというと、現実的な解としては地方政府ということになるんでしょうね。

今年(2019年)の春にアメリカのテックシンカーであるダグラス・ラシュコフにインタビューした際、インターネットを誰の帰属にさせるか、ガバナンスの主体をどこに置いたらいいのかを尋ねたんですよ。帰属先を民間か国かのどちらか一方に決めてしまうと、いろいろ不都合が生じますよね。第三の道として、どういうものがあり得るのか、と。彼の答えは「1つは地方政府だろう」というものでした。そういう意見まであるわけですよ。

地方政府は中央政府に対するミニチュア版として機能しているというイメージが強いけれども、それは地方政府の役割の半分でしかなくて、もっと中央にも物申す機能を備えていくことになるんじゃないだろうか。例えばニューヨーク州なんて、平気で連邦政府の主張に反対しますよね。中央に対して強い地方というのは、実際にあることはある。そして、それは悪いことではないと思うんです。

ただ、地方政府が国の出先機関であるという考え方を、本当に日本が改めていけるかは怪しい気もする。交付金とか中央からの補助金漬けになっているような形を変えない限り、地方が中央の下にあるという構図からはなかなか抜け切れないでしょう。

地方に多様性を持たせて、住民の選択肢を増やす

とはいえ、日本でも中央政府がどのタイミングで地方を切り離すかということは、案外真剣に考え始めているんじゃないかと思います。国の財政もひっ迫しているし、正直な話、そろそろ自立してもらわないと、という話は早晩出てくるような気もするんですよね。

それは国にとっていいだけでなく、市民にとってもメリットだと思うんです。いろんな人がいる中で、国全体で1つの仕組みで統一する状況は厳しいし、地方に多様性があってその中から自分に合う政策をしている場所を選択できるようになれば、仕事も生活もやりやすくなります。

アメリカでも、州によって法律が違ったりすることが誘致の要素にもなっていますよね。例えば極端な話、「うちの県は24時間働くのもOKです」という売り文句も出てくるかもしれない。ブラック企業ばかり集まるけれども、雇用はたくさん生むので人が集まるとか、地域によっていろんなレイヤーがあってもいい。

実際、大阪維新の会はシンガポールなどをモデルとして、大阪の統治機構を強化する大阪都構想を公約として掲げていますしね。アイデアとしては、そういうものが出てくるのは避けられない状況にあると思います。


株式会社黒鳥社は、「社会を再想像する」ためのコンテンツをつくることをミッションに掲げるプロダクション企業。2018年設立。
https://blkswn.tokyo

2018年12月刊行の「Next Generation Bank」に続く〈黒鸟雑志〉第2弾は、行政府のトランスフォーメーションがテーマ。若林恵氏・責任編集「Next Generation Government 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくりかた」は、2019年12月9日に日本経済新聞出版社より全国発売される。

戸籍制度を変えないことが、
社会制度の正しいフラット化を阻害している

時代の変化に応じて社会の仕組みも変えていくというのが、やっぱり自然な形ですよね。例えば、『中国化する日本――日中「文明の衝突」一千年史』(與那覇潤、文藝春秋)という本には、日本は1000年以上グローバリゼーションから逃げのびてきたけれども、いよいよ無理なんじゃないかということが書かれています。そのためには、いい加減「家制度」と会社という「村制度」で支えてきた社会の仕組みを、もうそろそろ見直す必要があります。

その第一歩として、IDの普及があるはずなんです。マイナンバー制度の是非はいろいろ言われているけれども、賛成派の1つの論点として、戸籍制度がなくなることの利点を挙げる人たちがいる。つまり、いまだに家族単位なんですよね、戸籍が。家族というものは福祉を受けるとか税金を納めるといった対応の最小単位で、しかもそれが男女一対の夫婦から成るものだと規定されている。だからゲイのカップルやシングルマザーは家族という枠組みから外れてしまうわけです。戸籍制度を変えないということは、いろんな意味で社会制度を本当に正しい意味でフラット化するのを阻害している感じがします。

本籍地という形で、ことによると住んだこともない住所が国に登録されていることが、そもそもおかしいですよね。いまは住所の意味さえなくなってきているのに。昔は個人のいる場所を捕捉できないから、その代替として住所の把握に意味があったけれども、GPSが登場してからは個人がいる場所がマップの座標軸で表現できちゃうわけだから。戸籍制度は明らかに時代に即した仕組みではないし、一方でそれが効力を発揮する場面が多いので、この制度が抱える問題は大きいと思います。

日本では家族単位の戸籍によって個人が守られてきた

国は戸籍を通じて家族を一単位として見ている。だから市民の側も個人としての自立がない。日本人の場合は特にそういう傾向があるように思います。それだけ個人が守られてきたということで、少なくとも戦後以降ではいい仕組みだったんでしょうね。でも、長くはもちません。

一方で、民主主義的な自立が本当に必要かという議論もあります。取りあえずみんなが生きていければ、それが基本的には1つのゴールでもあるわけでしょ?

中国が宋の時代に自由経済を推し進めて身分制を取り払ったことを前回に話しましたけど、そうなると激しい弱肉強食の世界になるわけですよ。結果として極端な格差社会になる。

そのときに一種のセーフティネットとして重視されたのが、父方の親族のネットワークなんだそうです。そこから1人でも役人が出たり、ビジネスで儲かったりする人が出ると、全員でそこにぶら下がって食い扶持を得ていたとか。普通に考えてそういう仕組みは世の中に必要だし、イスラム教でもそういう面がありますよね。

ゆるゆるとした不思議なネットワークが形成されていく日本

日本では血縁や地縁が薄れて、特に都市部では生存競争が激しくなっている。地方ではまだそういうものが残っているところはありそうだし、特に農業をしている地域だと食べ物は融通しやすいだろうし。そういう暗黙知を包摂したサブシステムとでもいうものを、もうちょっとうまくすくいあげることができるかどうかで社会も変わっていくと思うんですよね。

神社のお供えものを分かち合うネットワークもあります*。神社で余っているお供えものを貧困家庭に配る活動が元になっていて、最初は奈良のお寺が始めて、いまでは宗教も超えて全国規模の活動に拡大しているようです。

日本はそういうネットワークがゆるゆると不思議な形で形成されていく国でもあるということ。イノベーション感はゼロなんだけど、それがいい感じで走った、いい感じの国になるところなのかもしれません。

* 奈良県の安養寺が始めた「おてらおやつクラブ」活動のこと。お寺と支援団体をつなぎ、貧困家庭に食品や日用品を届ける。2019年4月現在、1,153寺院、423団体が参加。おやつを受け取った子どもは月間のべ約1万人に上る。2018年度のグッドデザイン大賞受賞。

中国と日本ではアーキテクチャを設計できる人材数に差がある

こうしてみると、日本という国はとらえどころがないんですね。強い声もなければ強い統治もない、何とも不思議な国なんです。だから、これからの日本でどういうアーキテクチャが必要とされているかが、かえって分かりにくい。

デジタルガバメントではまず個人IDをつくって、お金をデジタル化して、領収書と請求書を規格化するというのが最初の仕事なんだけれども、それを経済産業省の人に話したら、「日本はそれをいつからやってますっけ?」と言われた(笑)。いや、まだ全然だよって。いまだにPDFの請求書とか紙の請求書が普通に出回ってるわけじゃない。オンラインで作成・発行・管理できるような電子署名付きの請求書は、あるにはあるけれども普及していない。

これが例えばデンマークだと、ある日を境に行政は規格化された請求書以外は受け付けないというような荒療治をするんです。そうやって強引にでも電子化を進めている。日本は経産省の人もそれをどの程度やっているか知らないくらいのレベルで、少しずつなし崩し的に普及はするんだろうけど、10年後に規格化されていないデータが蓄積されていても、システムのアップデートでまた何かトラブルが起きるなんてことも予想されるわけで。

全体のアーキテクチャを考えられる人がどこにもいない可能性があると考えると、怖いですよね。日本は天皇なのか将軍なのか、上に立つ人が変遷しているということもあって、そのあたりがよく分からないですよね。ぐにゃっとしてて。

中国はそういうことを考える優秀な人がたくさんいるし、統治の技術を磨いてきた歴史もあるので、システムの運用やアップデートもうまいはず。いまはたまたま、かつて皇帝がいたポジションに共産党がいるけれども、絶対的なトップがいて、あとはフルフラット構造という基本的な統治の形式は変わっていません。人口が膨大で、しかもあれだけ多民族で、おまけに広大な空間をガバナンスする技術を磨いてきた歴史が、中国の強みかもしれません。

公共分野でのマーケット創出を、エンジニア的な観点で設計する

日本では中央よりも地方の方が、少しは勢いがあるのかな。スタートアップを誘致している徳島県神山町の話を聞くと、リアルな問題をどう解決してくかというところではイデオロギーの影響はないと感じますね。突き詰めればどこかで出てくるだろうけれども、右か左かを決めるよりは、コンフリクトをテクニカルにどう解決し得るかに頭を使うほうが生産的だということ。そこに集う人にIT企業が多いから、そういう実務的な発想になるのかもしれませんが。

ともあれ、そういう事例があるわけだから、公共に関係することでマーケットをいかにつくり出すかを、エンジニア的な観点から設計していくことは十分可能なはず。議会にかけてイデオロギーで議論するよりも、もっと短時間で実際的な解決策が見つかるでしょうしね。

そういう意味での制度設計を担う人間を育てる必要があります。大学でもうちょっとマーケットデザインや哲学、ITの考え方、制度論といったあたりがちゃんと教えられるといいですよね。ある種のリーガルのフレームワークも含めて、全体を調整できるアーキテクチャ設計屋みたいなイメージでしょうか。

そういう人材が公共の場でも企業でも求められていくだろうし、その人たちが中心になって新しい社会がつくられていくんだと思います。

WEB限定コンテンツ
(2019.7.4 港区の黒鳥社オフィスにて取材)

text:Yoshie Kaneko
photo:Rikiya Nakamura

若林恵(わかばやし・けい)

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。

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