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明治期に起源を持つ日本の雇用慣行を、時代に即したものへ

雇用制度を変える際に重要なのは透明性の向上

[小熊英二]社会学者、慶應義塾大学総合政策学部 教授

著書『日本社会のしくみ』では、大企業の正社員として終身雇用され、社会とのつながりの基盤が「カイシャ(職域)」にある「大企業型」、地域に根付いた職業に就いて「ムラ(地域)」と密接につながる「地元型」、そして非正規労働者として働き、会社とも地域ともつながりを持ちにくい「残余型」という3つの類型に働き手を分けて議論を進めています。

かつての雇用慣行は、いまの日本社会にはそぐわない

大企業型は全体の中で3割ないし3割弱しか占めていませんが、大企業型が社会全体の構造を規定していること、80年代以降は非正規労働者が増大し、地元型から残余型への移行が起きていること、年功賃金や終身雇用といった日本型雇用がコア部分では維持されていることなどを明らかにしました。

1人の男性の賃金収入だけで十分な生活を営める世帯の人々が、全人口の3分の1に過ぎないということは、言い換えれば、残りの7割の人々は親族から受け継いだ持ち家や地域的なネットワークなど、貨幣に換算されないソーシャルキャピタルの助けを得ていたということです。それが一億総中流の実態だったわけですね。

この30年あまりの日本の社会の大きな変化といえば、大企業型の増加は頭打ちになる一方、自営業セクターの衰退とソーシャルキャピタルの減少が進んできたことが挙げられます。

1980年代までとは国際環境も技術水準も変わって、日本の競争力や労働者の学歴は相対的に低下しています。明治期の官庁や軍隊に起源を持つかつての雇用慣行は、いまの日本社会にはそぐわなくなっていて、新しい仕組みをつくる必要が生じていると思います。


「慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス 小熊英二研究会」のウェブサイト。
https://oguma.sfc.keio.ac.jp/

どういう改革を行うにしても、最も重要なことは透明性の向上

仕組みは歴史的な過程を経て築かれた合意であり、慣習の束であるがゆえに、変えることは簡単ではありません。しかし、人々が合意すれば変えることは可能です。

私は政策を提言する立場にあるわけではないので、具体的な施策の立案は専門家の議論に委ねたいと思いますが、どういう改革を行うにしても、最も重要なことは透明性の向上であると考えています。

採用や昇進、人事異動や査定に関して、企業を横断する評価の基準がないことは日本の労働者にとって不満の種となりますし、同時に日本企業が他国の人材を活用していくうえでも改善が欠かせません。透明性や公開性が担保されれば、公開できないような基準、たとえば「学位はないけれど男だから」とか「勤続年数が長いから」といった理由で昇進や採用が決まる度合いが少なくなる。それは、専門的な学位や、職業上の経験で評価されることにつながります。結果として、横断的な労働市場の形成、男女の平等、大学院進学率の向上などがおのずと見込まれると思います。

ただ、透明性と公開性の向上は、学位取得競争の強化や格差の拡大を招くかもしれません。学位を持たない中高年労働者の賃金が下がる可能性もあるでしょう。残余型が増大している状況も合わせると、児童手当や公営住宅といった社会保障の拡充も重要だと個人的には考えています。


小熊氏の著書『日本社会のしくみ――雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)。日本の働き方がどのように成立してきたかを、データを元にひも解いている。

勤続10年のシングルマザーと
新入りの高校生の時給を同じにすべきか?

『日本社会のしくみ』という本は解決策を提示するものではありません。事実や歴史の検証を通じて、社会のさまざまな可能性を提示しているので、それを踏まえて個々人が日本の社会はどうあるべきか、今後どう変えていけばいいかを、社会の一員として考えてみてほしいと思っています。

本書の最後に1つの問いを提示しています。スーパーの非正規雇用で働く勤続10年のシングルマザーの悩み相談です。いわく、「昨日入ってきた高校生の女の子と自分が、なぜ同じ時給なのか」。*

選択肢として考えられる回答は3つあると思います。

1つは、「女子高生と同じ賃金なのはおかしい。労働者の年齢や家庭背景に見合った賃金を得られる社会にしていくべきだ」。

2つめは、「年齢や性別、人種などで差別しない、同一労働同一賃金が原則なので、女子高生と同じ賃金で正しい。このシングルマザーが資格や学位を取って、より高賃金の仕事にキャリアップできる社会にすべきだ」。

3つめは、「同じ仕事なら女子高生と同じなのは仕方がない。この問題は労使関係でなく、児童手当など社会保障政策で解決すべきだ」。

両立不能な要素をどちらも叶えようとするのは無理

3つの回答の中からどれを選ぶか、その方向性を社会で合意できれば、あとは雇用や労働、マネジメント、教育、社会保障、財政・税制などの分野の専門家で具体的な政策をまとめることができます。

ただ、往々にしてその合意を社会的に取り付けることは難しいんですよね。格差はなくしたいけれど税金は上げてもらいたくないとか、終身雇用はしてもらいたいけれども横断的基準は作ってもらいたいとか、両立不能な要素をどちらも叶えたいと考えがちです。でも、それは無理なんです。

社会として何を優先して、そのために何をどこまで犠牲にできるかという基本の方向性については、ある程度の合意があったほうがいいだろうし、そのためには個々人が問題に真剣に向き合うしかないと思います。

海外との行き来が増えると、他のあり方があると分かってくる

人間誰しも、潜在的にはより良く生きたいと思っているはずです。しかし、生きづらさを抱えつつも、社会や企業を変革しようという社会運動にはなかなかつながらない。それはやっぱり自分で考えて行動するより、人に任せっぱなしにしてぶつぶつ言っているほうが楽だからという理由があるんでしょう。それは洋の東西を問わないことで、日本だけに見られる傾向だとは思いませんけれども。

大きな動きになってこないということに関しては、やはり「知らない」ということが大きいと思うんです。でも、この20年、特に直近の10年で、日本と海外を行き来する人は増えています。より良い仕事や教育を求めて他の国に行くことが、もう普通のことになっている。そうやって行き来が増えると、日本以外の他のあり方があるということはみんな分かってくるでしょう。

個々人がそれまでの慣習と違うものと対峙して、そこで戸惑ったり摩擦を起こしたりしながらも、新しい方法を編み出して、やがて慣習化させていく。そうやって起こる社会の変化というものもまたあるのかもしれません。

WEB限定コンテンツ
(2019.9.17 小熊氏の自宅にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Kazuhiro Shiraishi

* 金子良事・龍井葉二「年功給か職務給か?」『労働情報』2017年4月号(『日本社会のしくみ』p.577、p.582より引用)。

小熊英二(おぐま・えいじ)

1962年東京生まれ。東京大学農学部卒。出版社勤務を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。学術博士。主な著書に『単一民族神話の起源』(サントリー学芸賞)、『<民主>と<愛国>』(大佛次郎論壇賞、毎日出版文化賞、日本社会学会奨励賞)、『1968』(角川財団学芸賞)、『社会を変えるには』(新書大賞)、『生きて帰ってきた男』(小林秀雄賞)、A Genealogy of ‘Japanese’ Self-Imagesなど。

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