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最大多数の最大幸福を追求する中国のハイテク監視社会

デジタル先進国でいま何が起きているのか

[梶谷懐]神戸大学大学院 経済学研究科 教授

いまや中国はデジタル大国として日本をしのぐ発展を見せています。中国の主なIT企業の設立時期は、アリババが1999年、テンセントが1998年、中国版の検索エンジン「バイドゥ(百度)」が2000年、中国版ツイッターともいわれる「ウェイボー(微博)」が2009年といった具合で、特に21世紀の最初の10年でインターネットが中国社会へ爆発的に普及していきました。

この時期にインターネット上で公害の反対運動が繰り広げられるなど、市民的公共圏の萌芽ともいえる動きが見られました。共産党が支配する社会構造が次第に変わっていくのではという期待が内外であったのですが、2013年に習近平政権へ変わったあたりからそうした動きが影を潜めていきます。

その背景としては、第一に政府の締め付けが強くなったこと、第二に読者がネットで記事を読むようになってメディアの経営が苦しくなり、リスクを犯してまで紙面を作っても採算が合わなったことなど、さまざまな理由が考えられますが、結果として体制を批判するようなメディアはすっかり下火となり、いまのところ社会を動かすような力は持っていません。

国家政策の転換でデジタル立国へと舵を切る

一方、ネット社会の到来と歩調を合わせる形で、2014年ごろからデジタル立国へと舵を切るような国家政策の転換が見られるようになります。それまでは労働集約的な産業による輸出が牽引力となり、世界の工場として急成長を果たしていましたが、そうした産業は頭打ちになるのではということで、いわゆるニューノーマル(新常態)の経済を目指し始めたわけです。

新たな成長のエンジンの1つが広域経済圏構想、いわゆる「一帯一路」(発表年2014年、以下同じ)に代表される海外的な資本輸出です。

もう1つが国内で技術革新、イノベーションを進めていくというもの。製造業とインターネット技術の融合を進めるIoT戦略の「インターネットプラス(互聯網+)」(2015年)、半導体市場の覇権を狙い、製造強国を目指す「中国製造2025」(2015年)が代表的なところでしょうか。

また「大衆創業、万衆創新」(大衆による起業、万人による革新)という政策(2015年)も、イノベーションを推し進めるものです。スタートアップ企業を支援して、新たなアイデアを持った人たちが企業を作っていくことを支援するというものです。

こうした政策を複合的に組み合わせることで、テクノロジー立国としてのエンジンがかかっていったととらえることができます。

個人情報を提供すれば、便利なサービスを低価格で享受できる

2017年ごろからは、日本でもモノづくりやイノベーションのスタートアップ拠点として広東省深圳市にスポットが当たるようになります。スマートフォンを通じたモバイル決済の発展でキャッシュレスも浸透。シェアサービスや共同購入、動画配信とネットショッピングを一体化させたライブコマースなども人気を博します。

特に高いシェアを誇る決済サービスが、アリババ集団(アント・フィナンシャル)の「アリペイ」、テンセントの「ウィーチャットペイ」です。モバイル決済をするにも、誰かと何らかのコミュニケーションをするにも、利用者はこうしたアプリを通じて行うことになります。翻っていえば、経済活動から交友関係、コミュニケーション情報、どんなアプリをどのように利用しているかという細かい情報まで、利用者の膨大な個人情報を中国の巨大IT企業がつぶさに捕捉するようになったということです。

この状況を中国のユーザーが全く疑問視していないわけではありません。「中国人はプライバシーに鈍感だから、個人情報を平気で差し出すのだ」という声が、特に欧米のメディアを中心に聞かれますけど、これは誤解で、中国人もプライバシーは大事だと思っています。

プライバシーが保護されるという前提で個人データを企業に提供することで、便利なサービスを低価格で享受できることにメリットを感じている、というのが正確なところでしょう。


梶谷氏の専門は現代中国経済。
http://www2.kobe-u.ac.jp/~kaikaji/

信用スコアは金融、道徳、懲戒の面でも威力を発揮

アリババ集団のアントフィナンシャルが展開する信用スコア「芝麻信用(セサミクレジット)」は、アリペイに搭載された一機能として広く普及しています。ユーザーの信用力を点数で評価するもので、ユーザーが提供する情報が多いほど情報の信頼性が高まってスコアが上がり、使えるサービスが増え、融資や分割払いの限度額も引き上げられます。個人情報の提供が利便性の向上につながっているわけです。

また、自分がどういう行動をしたかということがスコアに跳ね返るので、例えばシェアサイクルを使ったらきちんと返す、交通ルールを守って車を運転するという具合に、社会全体のマナー向上ももたらします。

これとは別に、政府は「社会信用システム」と称して、政府のさまざまな部門の情報を横断的に共有し、社会的に望ましくない行動を取る市民にゆるやかな懲戒を与える仕組みも整備しようとしています。例えば裁判所の判決を守らず、罰金等を払わない人間の情報は交通部門にも共有されます。すると新幹線や飛行機など身分証が必要な交通機関が利用できなくなるのです。

中国では顔認証などAI技術を駆使した監視カメラも町なかに設置され、その数は2000万台を優に超えると見られます。そうした監視体制や信用スコア、電子化された行政データなどが複合的に組み合わさって治安の向上に寄与しているといえます。


梶谷氏と、ジャーナリスト・高口康太氏の共著『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)。先進のデジタル技術を駆使して市民を統治する中国社会の変化を多角的に探っている。

功利主義的な実態と市民運動の不活化につながりが

アプリを開発・運用しているのは民間企業ですが、中国の巨大IT企業には必ず共産党委員会があり、党の誰かしらがお目付け役のように配置されています。そうやって直接的ではないにせよ、共産党がコントロールする形になっているんですね。

形式的には民間企業ですし、アリババ、テンセントなどの本社は海外にあり、外国の資本がかなり入っている、いわば外資系企業ではあるものの、共産党が企業を監視する体制になっているわけです。

「社会信用システム」の中国語の原語は「社会信用体系」ですが、中国政府が最初にこれに公的に言及したのは2003年で、情報が重要という認識はかなり前からあったといえます。2014年に公布された「社会信用体系建設計画綱要(2014~2020年)」には、多岐に渡る分野で社会信用システムを適用するという全体像が示されていますが、ここで触れたような金融、道徳、懲戒といった分野では既にそれなりの実績や成果が挙げられているといえます。

テクノロジーが監視統治と結びついていくという動きは、中国社会で確かにあります。しかし、それはユーザー自らが望んでいるという側面がある。そうした功利主義的な実態と、インターネットが普及して情報化が進んだにも関わらず、市民の間で社会を変えていこうという機運が盛り上がらないという問題はつながっているように思います。

大衆の行動をパターン化して認識し、
防疫やマーケティングに役立てることが重要

監視社会のメリットとデメリットについて、もう少し具体的に考えてみましょう。

まず、メリットの1つは、政府や行政機関が個人の行動を把握できることそのものにあります。例えば新型コロナウイルスのような感染症が流行した場合、みんな同じ決済アプリを使っているので、そのアプリの情報を見れば誰がどういう行動をとったか、いわば感染経路が追えるわけです。必ずしも政府が情報を利用するわけではないとしても、例えばアリババのような一企業がその情報を利用して感染者の行動を追跡して、防疫対策などの政策提言をすることも可能になります。

「監視社会」の象徴として、地域に張り巡らされた監視カメラで個人の行動が追跡できるようになり、凶悪犯が市中に現れた場合にすぐ捕まえることができるといったことがよく言われますが、それはあまり本質的ではないと私は思っています。むしろ匿名の群衆の行動をある程度パターン化して認識することで、ビジネスや防疫、さらには効率的な統治に役立てることの方が本質だと思いますね。

大衆の動きというものは本来は予測がつきにくいのですが、膨大なデータを蓄積することで、ある程度パターン化して認識することができます。それによって感染症の流行を抑制したり、消費のトレンドを予測したりといったことが可能になります。ひいては中国政府が進めようとしているイノベーションの推進にもつながっていくと考えられます。

違法な行動を起こすことも含めて、自由度は狭まっていく

市民の側のメリットとしては、治安が安定する、平穏な社会で暮らすことができる、高度なマーケティングが実現することで利便性が一層高まるといった点が挙げられます。

実際、中国社会に長く住んでいる人から、交通マナーが良くなったという声はよく聞かれます。タクシーでも問題のある行為は評価に直結するので、乱暴な運転をしたり法外な料金を取るタクシーは減っています。誘拐された子どもが早期に見つかったという例もありますし、落とし物をしたら以前は決して出てこなかったけれども、最近はきちんと届け出がされて、しかも中身も手つかずで返ってくるという具合で、社会全体が行儀よくなっているのは間違いないでしょう。

また、信用スコアが高ければ消費者金融などからお金を借りやすくなります。従来であれば銀行からお金を借りられなかった個人事業者も、事業を立ち上げるためのお金を借りやすくなるので、いわゆるサラ金のような悪質な業者を一掃することにもつながります。

もっとも、これらはメリットでもあるし、デメリットでもあります。人々の自由度は、違法な行動を起こすような自由も含めて、当然狭まっていくわけです。統治が進むことで息苦しい社会になっていくことは考えられます。

中国のデジタル化の動向については、株式会社ビービットの藤井保文氏の取材記事でも詳しく語られている。

前編「デジタルが実世界を呑み込む『アフターデジタル』とは」
https://www.worksight.jp/issues/1572.html

後編「決済プラットフォーマーを頂点とする産業ヒエラルキー化は起こるか」
https://www.worksight.jp/issues/1574.html

功利主義の観点に立った「最大多数者の幸福」

監視社会においてユーザーが利便性を得る、幸福になるといった場合の「幸福」は、功利主義の観点に立った「最大多数者の幸福」を意味します。生活が良くなるとか便利になるとか、ものを盗まれる危険性が減るといったことは、あくまでマジョリティの立場に立った評価なんです。

社会には多数者から外れるような少数者、マイノリティもいます。そういった人々には中国の現状はむしろデメリットやストレスになっている可能性が高い。

典型的な例が少数民族に対する統治です。新彊ウイグル自治区はその代表例といえます。新疆の各地では中国の他の都市に比べても、町なかに設置される監視カメラは格段に多いですし、住民のスマホにスパイウエアを組み込んだアプリをインストールされることが義務付けられたりもしています。さらにテクノロジーが介在しない人的監視もあって、役人がたびたび家庭を訪問して状況を聞いてきたり、民族融和の名目で泊って食事をしていったりもするそうです。

「便利になるから」「暮らしやすくなるから」と監視のテクノロジーを社会が受容しているのは、あくまでマジョリティの側がそう考えているからに過ぎません。メリットとデメリットのバランスによる線引きがマジョリティの視点で決められているので、その結果実現される監視体制はマイノリティにとっては耐えられないものになるでしょう。そこは見過ごせない事実です。

監視システムを構築することで行政自身にも監視の目が

人権を抑圧する面があることは、国にとってはデメリットでもあります。欧米のメディアや人権団体などを中心に、いまの中国は小説『1984』* の世界そのものであるといった国際的な非難が起こりかねませんし、実際、米国などでの中国への批判はかつてなく強まっています。

重要なのは、監視システムを構築することで行政自身も監視の対象になり得るということです。地方の役人を市民が評価するとか、自治体の腐敗を市民が摘発するといったシステムも導入されています。中央政府の高官までそうした批判が届くことは考えにくいものの、あるレベルまでの役人であれば、むしろ自分が監視、評価されるという側面はあるでしょう。

また、テクノロジーを提供している個々のIT企業との緊張関係も常に存在します。アリババ、テンセント、バイドゥ、ファーウェイといった企業は、政府と強いつながりを持たないとビジネスができません。それは高度な技術を持つ民間企業が社会を勝手に変えていってしまうかもしれないという政府の警戒感の裏返しでもあります。だからこそ企業に党員を送り込んでいるわけです。政府が社会を統治するためのシステムが、為政者にとって直接にアクセスできない、ブラックボックスになっていることによるリスクだといえるでしょう。

* ジョージ・オーウェルによるSF小説。国家による統治が高度に進んだディストピア世界を描いている。

いまの中国社会で起きていることは普遍的な課題

中国政府は、最大多数の幸福を追求する国家であることを標榜するために、マジョリティがどのあたりにあるか、世論がどのような風向きにあるかはSNSなどを通じて常に注視しています。

新型コロナウイルスの件でも、武漢市の眼科医・李文亮さんがいち早く流行の警鐘を鳴らしたものの、デマを流したとして市当局から訓戒処分を受けました。その後、李さんがコロナウイルスに感染して肺炎で亡くなり、当局の対応の遅れも相まって市民の不満・批判が沸き起こると、中央政府は市の対応の誤りを認め、李さんを賞賛するに至りました。

中央政府がこのような対応をとったのは、李さんを支持する声がそれだけ大きかったからです。世論は統制しつつ、しかしそれを非常に重視しているというのが中国政府のやり方なのです。

IT化を推進する一方で、個人、企業、社会といった多層的なレイヤーで政府が情報をコントロールしている。中国の監視社会は微妙なバランスの上に成り立っています。

重要なのは、これが中国だけに限った話ではないということです。何らかの形で人々を監視する技術を持つ多くの国家や社会に当てはまる課題であり、当然ながら日本も無縁ではないでしょう。いまの中国社会で起きていることは、どの社会でも起こり得る、普遍的な課題としてとらえなければならないと思います。

WEB限定コンテンツ
(2020.2.18 神戸大学 六甲台第一キャンパスにて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Yoshiro Masuda

梶谷懐(かじたに・かい)

1970年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経済学研究科教授。神戸大学経済学部卒業後、中国人民大学に留学(財政金融学院)、2001年神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、2014年より現職。著書に『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院)、『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、大平正芳記念賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版)、『中国経済講義』(中公新書)、『幸福な監視国家・中国 』(NHK出版新書、共著)、『新・図説 中国近現代史〔改訂版〕: 日中新時代の見取図』(法律文化社、共著)など。

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