Foresight
Aug. 11, 2020
新型コロナに学ぶ、異質なものと共存するための知恵
文明は感染症を育む「ゆりかご」である
[山本太郎]長崎大学熱帯医学研究所 教授
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に甚大な影響を与えています。未曽有の事態とか前代未聞といった印象を受ける人が多いかもしれませんが、パンデミックを引き起こした感染症は、ペスト、天然痘、はしか、スペイン風邪など、過去にいくつもあります。
過去の感染症と比較すると、今回の新型コロナによるパンデミックは2つのことを示唆していると私は考えています。
生態系の破壊で、ヒトと野生動物の距離が近くなった
1つ目は、ヒトと野生動物の距離が縮まっているということ。これは人間による生態系の破壊が大きく関係しています。
新しいウイルスの多くは野生動物から来ています。エイズもエボラ出血熱もそうですし、コロナも例外ではありません。新型コロナは人工的に生成されたものが研究施設から漏れ出たのではないかという疑念が一部にありますが、仮にそうだとしても大元の出どころは野生動物であることに間違いありません。
一方で、ヒトが日常的に感染するコロナウイルスは4種あり、それらはどれも風邪程度の症状で済むんですね。この4種のウイルスも最初はパンデミックを起こして、人間が徐々に免疫を獲得した結果、重症化しない状態になっているのだと思いますが、そのプロセスには相当な年月がかかっていると考えられます。
しかし直近の20年ではSARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)、そして今回の新型コロナウイルス感染症と、重篤な症状を引き起こすウイルスが3種も出てきています。新たなウイルスが次々と出現する背景には、無秩序な開発や熱帯雨林の伐採といった人間の生態系への進出があるでしょう。また、地球温暖化も野生動物の生息域を縮小させています。
ヒトと野生動物の距離はかつてないほど近くなった結果、新しいウイルスが人間社会に侵襲する頻度が高まっているわけです。
(トップ写真:アフロ)
長崎大学熱帯医学研究所は、熱帯病の研究を専門に行う研究専門機関。山本氏が率いる国際保健学分野は、感染症の研究と同時に、災害や紛争後の人道支援、感染症流行における国際緊急事態への対応など社会貢献にも取り組んでいる。
http://www.tm.nagasaki-u.ac.jp/nekken/
グローバル化で世界が1つの村となり、ウイルスが急激に蔓延
もう1つ、今回の新型ウイルスは蔓延のスピードが速いことも特徴でした。これは人々が都市に密集して暮らし、移動は飛行機で行うという現代社会ならではの現象でしょう。
昔は半年とか1年といったスパンでパンデミックが引き起こされました。1918~20年にスペイン風邪が大流行しましたが、当時の人は船や鉄道で移動していたため、パンデミックに至るまで半年を要しました。さらにその前の時代、移動手段が馬であったり、あるいは徒歩であったりしたときは、人から人への感染スピードはもっと鈍かったはずです。
現代ではグローバル化が進み、流通を含めた人の移動がこれまでになく増えています。かつてない速さとかつてない量で人の移動が起こり、世界は小さな1つの村のようになりました。そこにウイルスがポンと入ってきたら、一気に広がるのは当然です。だからこそ、今回の新型コロナでは同時多発的にパンデミックが起きたわけで、この点は過去のパンデミックとの違いといえるでしょう。
生態系の破壊、グローバル化の進行など、社会のあり方や人間の暮らし方が感染症の拡大を左右する大きな要因であるわけです。
加えて、新型コロナは飛沫感染することが分かっています。そういう感染様式のものは蔓延のスピードが速く、しかも遠くまで運ばれやすい。例えばエイズやエボラ出血熱などは飛沫感染しません。コロナがこれほど急激かつ大規模な打撃を与えた理由は、この感染力にもあります。
山本氏の著書『感染症と文明――共生への道』(岩波新書)は、感染症と人類の関係の歴史をひもといていく。
農耕の開始、定住、野生動物の家畜化が転換点に
ウイルス感染のスピードと規模は人類の進化の歴史と深く関わります。
初期人類は狩猟採集を軸として、散在して暮らしていました。仮に誰かが野生動物と接触してウイルス性の病気にかかったとしても、感染を広げる機会は少なかったと考えられます。
しかしその後もたらされた農耕の開始、定住、野生動物の家畜化によって、人類と感染症の関係は大きく転換していきます。
農耕によって食料の増産・定住が可能となりました。人々の排泄物は居住地の周囲に集積されたり、肥料として利用されたりして、寄生虫疾患が増えていきます。農耕で食物が増えたことで増えたネズミやノミ、ダニなども感染症を媒介することになりました。農耕や定住、人口の増加が感染症の流行の土壌となったわけです。
さらに、野生動物の家畜化は、動物を起源とする感染症をヒト社会にもたらします。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザはアヒルなどの水鳥、百日咳はブタやイヌが起源とされています。野生動物との距離が近くなることで、感染症の種類は急激に増えました。
こうして野生動物を宿主(寄生する相手)としていた病原体は、ヒトという新たな宿主を得て拡大し、ヒト社会に根づいていったと考えられます。
(『感染症と文明――共生への道』p.37の図版を元に再作成)
人口増加や都市化が感染症流行の土壌に。
交易、戦争などで病原体は拡散していく。
とはいえ、農耕・定住が始まったからといって、ただちにパンデミックが起きたというわけではありません。初期の農耕を基盤とした時代の生活集団は血縁関係から成り立ち、コミュニティの人数はそれほど多くなかったでしょう。しかも、集団ごとに資源が重ならないように離れて暮らしていたはずです。
そこへコロナやインフルエンザのような感染症が入ってきたら、おそらくコミュニティの構成員全てに感染するだろうけれども、一方で行き場を失ったウイルスはそこで消滅せざるを得ない。ウイルスが現れたとしても、ある集団が免疫を獲得して終わったわけです。
しかしその後、人口が増加して、特定の地域に数万、数十万の人が住み始めると、それが感染症流行のさらなる強固な土壌となります。子どもも生まれてくるし、流入してくる人も多い。さらに交易や戦争などの交わりを通じて、時間をかけて感染が他の地域へと広がっていくわけです。
農耕や定住の開始、都市化、流通網の整備といった社会の構造の変化が、ウイルスを育み、感染症の定着を許してきた側面がある。まさに文明は感染症の「ゆりかご」であったといえます。
弱毒性ウイルスの方が生存確率が高い
こうして感染症と文明の歴史をたどってみると、強力なウイルスだけが生き残ってきたわけではないんですね。そこが興味深いところです。
ウイルスには強毒性と弱毒性があります。強毒性のものは感染力と致死性が高く、潜伏期間が短いことから、宿主を消耗しつくすきらいがある。すなわち次々と非感染者が供給される環境でしか生きられず、非感染者が現れなければ自らの強毒性ゆえに消滅することになるわけです。
そう考えると、感染力も致死性も低く、潜伏期間が長い弱毒性ウイルスの方が宿主と安定した関係を築くことになり、生存の確率が高まるという見方もできます。強いものが生き残るわけではないということです。
山本氏。取材はオンラインで行われた。
現状は人間とコロナの共存関係に持っていこうとしている状態
ウイルスを生き物に見立てるならば、宿主がバタバタと死んでいく状況は自分たちの進化や繁栄にとって成功とはいえないわけです。どこかで折り合いを見つけて、途中途中で人から人に感染したりもしつつ、内部にもぐりこむことができたその相手と長く付き合っていく方がいい。最終的にそういう戦略をとることになると思うんです。
今回の新型コロナの場合、自然宿主であった野生動物の中ではそうやってうまく共存していたかもしれないけれども、出会ったばかりの新しい宿主であるヒトと、どういう形で出会い続けていくかは、いまのところまだ見えてきていない、そういうイメージだと思います。
長い目で見れば、人類と新型コロナウイルスはある種の共存関係に入っていくと思うけれども、それには10年近くかかるかもしれません。人間側からすれば、それまで黙って待つわけにもいかず、科学的な知見を活用して治療薬やワクチンの開発を進めていこうとしている。そうやって共存関係の状態に持っていこうとしているのが現状ということです。
あるウイルスを排除することで別のリスクが浮上する
ここでいう「共存」は、とりあえず一緒にいるということを許容するというイメージでしょうか。ヒトとウイルスが互いにあまり害のない存在として、何かいいこともしないけど悪いこともしないという状態で生きていくというところを、一応の目標として目指すわけですね。
しかし、現在の危機的な状況を乗り越えたら、長期的にはお互いにお互いの存在にメリットを見出す「共生」の道を探るのが得策だろうと思います。というのも、集団が新型コロナに対する免疫を持つと、新しいこれに近いウイルスがヒト社会に入ってくるのを防ぐ防波堤になるからです。
例えば人類は天然痘を根絶したけれども、今後、天然痘が復活したり、それに近いウイルスが現れたりした場合、免疫を持たない我々は再び大きなダメージを負うことになります。あるウイルスを排除することで別のリスクが浮上するということです。
侵略者を強くしているのは、その体内にあるウイルスの抗体
歴史を振り返ると、感染症を経験した社会は、そうでない社会より強いという事例をたくさん目にします。
例えばハイチは植民地政策でヨーロッパから持ち込まれた感染症に抗することができず、先住民は絶滅に追いやられました。現在もハイチでは感染症が横行し、多剤耐性結核や薬剤耐性ウイルスが社会問題となっているほど、その傷跡は深刻です。
アステカやインカなどアメリカ大陸の文明も、ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症で滅亡しました。新世界から持ち込まれた疾病で旧世界が破壊に追いやられるという構図は、世界各地で見られます。
疫学的な観点からみると、侵略者を強くしているのは、その体内にあるウイルスに対する免疫なんです。ヒトとウイルスが共存している状態が社会を強固にするというのはまぎれもない事実でしょうし、人類が世界のあらゆる環境に進出できているのも、我々がいろいろな感染症に対する免疫を持っているからだと考えられます。
14世紀、ハイチには天然痘、麻疹、ジフテリア、おたふく風邪などがヨーロッパから次々と持ち込まれた。また、西アフリカからハイチへ連れてこられた奴隷から、マラリアや黄熱、デング熱も持ち込まれたと、山本氏は指摘する。
コロナウイルスを撲滅しようとするならば絶望的な戦いになる
健康や病気といった状態は、ヒトの環境に適応する度合いを示すバロメーターでもあります。病気とは、ヒトがその環境にまだ適応できていない状況を示すものでもあるんですね。
とはいえ、環境は常に変化します。環境が変化すれば、その環境に最適化していたものは不適応を起こします。近視眼的にメリットを追求すると副作用をもたらしかねません。生物の進化の過程を見ても、最適解を見つけて適応したものは次の瞬間に不適応を起こして淘汰される。そう考えると、一発で解決できる方法があるという考えは幻想なのかもしれない。
コロナウイルスを殲滅しようとして抗ウイルス薬を開発したとしても、ウイルスはどんどん変化していくかもしれない。特にコロナウイルスは遺伝情報が1本のRNA(リボ核酸)で成り立っていて、この構造は不安定で、突然変異が入りやすいのが特徴です。
つまり、遺伝子の特性が変わりやすく、毒性や感染力が変化する可能性が他のウイルスより高いということです。ワクチンができた場合も、効果が変化する可能性があります。要は、コロナウイルスを撲滅しようという発想では、いたちごっこの絶望的な戦いにしかならないという懸念があります。
いろいろなものが新しく入ってきて、局所的には少々の混乱をもたらしつつも、全体の恒常性を変えていく。ゆっくりとしたプロセスで解決を目指していくことが、適応の1つのあり方だと思います。
嫌かもしれないけれども、時間をかけてお互い相手を知って、お互いの居場所の中に関係性を見出していくことが求められているのではないでしょうか。コロナが我々に何か教えてくれることがあるとすれば、異質なものと共存・共生していくための知恵や術といったことなのかもしれません。
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(2020.5.8 オンラインにて取材)
text: Yoshie Kaneko
山本太郎(やまもと・たろう)
1964年生まれ。1990年長崎大学医学部卒業。医師、博士(医学、国際保健学)。京都大学医学研究科助教授、外務省国際協力局を経て、長崎大学熱帯医学研究所教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学。アフリカ、ハイチなどで感染症対策に従事。著書に『感染症と文明――共生への道』『抗生物質と人間――マイクロバイオームの危機』『大震災のなかで――私たちは何をすべきか』(内橋克人編)(以上、岩波新書)、『ハイチ いのちとの闘い――日本人医師の300日』(昭和堂)、『国際保健学講義』(学会出版センター)。訳書に『感染症疫学――感染性の計測・数学モデル・流行の構造』(昭和堂)、『エイズ――ウイルスの起源と進化』(学会出版センター)など。