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ウイルスは社会の弱点を突く。
目指す社会のビジョンがいま問われる

パンデミックは革新を生む契機となるか

[山本太郎]長崎大学熱帯医学研究所 教授

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大が一服し、外出自粛も解かれて経済活動が再開しつつあります(2020年6月現在)。

ただ、まだまだ油断はできません。我々の集団の中の一定割合の人が免疫を持つまでは、真の収束はないと考えていいでしょう。今回の新型コロナの場合、その割合は7割程度ではないかと思います。この割合は、ウイルス自身が持っている特性と我々の社会が持っている特性で決まります。

7割の集団免疫の獲得まで約2年かかるか

感染の状況を示すのが基本再生産数です。感染者1人から何人に感染するかの平均を示した数字で、例えばこれが3であれば、1人の感染者が3人に感染を拡大させるということです。この場合、3人に2人が免疫を持てば再生産数は1にとどまり、爆発的な拡大は起こらないと考えられます。基本再生産数が2であれば、3人に2人が集団免疫を持てば再生産数は1より低くできます。

東京やニューヨーク、パリなどの都市で、パンデミック以前に送っていた生活をベースに基本再生産数を算出すると、2から3の間だろうというのが世界的な見立てであり、すなわち3分の2≒67パーセント、概算で7割くらいではないかと考えられるわけです。*

その状況にたどりつくのにどれくらいの時間がかかるかといえば、直観的には2年くらいではないかと思います。何も対策をしないで勢いに任せておくと流行が早くなり、集団免疫獲得までの時間はもっと短くなるでしょう。しかし重症患者が多く出て医療崩壊する危険が高まります。

そこでいまは感染の拡大防止と流行スピードの緩和を目的に、ソーシャルディスタンシングなどの対策が採られています。この対策を続ける前提で、7割の集団免疫の獲得までに2年くらいかかるのではないかということです。

(トップ写真:アフロ)


長崎大学熱帯医学研究所は、熱帯病の研究を専門に行う研究専門機関。山本氏が率いる国際保健学分野は、感染症の研究と同時に、災害や紛争後の人道支援、感染症流行における国際緊急事態への対応など社会貢献にも取り組んでいる。
http://www.tm.nagasaki-u.ac.jp/nekken/

* ここで示した数値は取材時の2020年6月時点のもの。山本氏によれば、最新の研究では、集団免疫の割合は4割程度でよいとする報告もあるという(2020年7月現在)。

世界規模で感染拡大を抑止するには、国際的な連携が必要

過去の感染症と比べると、今回のコロナ禍は世界的に一気に広がりました。そういう意味では、局所的な対応ではなく、国際的に協調して問題に当たることが重要です。

流行の初期には感染者の隔離や非感染者の外出抑制が、流行速度を遅らせるために必要です。しかも、日本だけとかアメリカだけとかで考えるのではなく、アジアやアフリカなどでも同じ対策を講じていかないと、世界全体で抑え込むことは難しくなります。

とはいえ、ソーシャルディスタンシングや隔離は、豊かな社会でなければできないことなんですね。社会インフラの整っていないアフリカや、途上国あるいは先進国でも、人々が密集して暮らし衛生レベルも低いスラム街では、ソーシャルディスタンシングをしようにもできないし、ロックダウンもできません。ということは、結果的に被害が大きくなることも予想されます。

世界規模で感染拡大を抑止するには、国際的に連携・協調を進め、こうした国や地域をサポートする必要があるでしょう。

有事への対処が、教会の権威を失墜させる一因に

国際協調や社会統制をめぐる議論を進めるうえで、感染症は政治の力、リーダーシップ、言葉の力にも光を当てます。

例えば、ヨーロッパでペストが流行った14世紀当時、一番の権威は教会でした。しかし教会は人を隔離する力を持ちません。結局、ペストという災いは神の罰であるというしかない。その結果、感染拡大を抑えることができず、教会は人々の信頼を失っていくことになりました。

片や国家は人を強制的に隔離する力を持っています。税金を集めたり徴兵をしたり、人を隔離したり領土を封鎖したりもする。民衆の立場からすると不満はあるけれども、感染症対策としてはやはり隔離が有効なんですね。そんなこともあって、有事対処の実行力に差がつき、結果として教会から国家へ権力が移っていったという側面もあったのではないかと思います。

国家が隔離という政策を採れたのは制度的な問題もあるでしょうし、リーダーシップの問題もあるでしょう。それが今回のコロナ禍で改めて見えてきたということかもしれません。

ウイルスのヒトへの適応(共存の状況)を便宜的に5段階でとらえたもの。(山本氏の著書『感染症と文明――共生への道』(岩波新書)p.179の表を一部改変)

情報技術をどう活用し、どんな社会を目指すか、
その着地点を探ることが重要

このパンデミックが社会に大きな影響を与えることは間違いないけれども、それがいいものになるか悪いものになるかは、我々の行動にかかっています。いい影響にも持っていけるし、悪い影響にも持っていけるでしょう。

情報技術を使った監視や、人々の行動を強制的に変える強い国家権力に感染症を抑え込む力があると考える人は、そういう政治体制を望むかもしれません。あるいは、日本のように外出は自粛要請にとどめ、民意もなかなかまとまらず、ちょっともたもたしているけれども、民主主義的な思考が協調と連帯をもたらして、最終的には感染拡大の抑止に有効だと評価する人もいるかもしれない。それぞれのスタイルをどう評価するかが1つの分岐点になりますし、それは目指す社会像を策定する指標にもなるでしょう。

また別の視点でいえば、パンデミックは新しいものを作り出す可能性もあります。今回のコロナが出現するずっと前から社会のデジタル化の掛け声はあったけれども、なかなか実現に踏み切れませんでした。それが今回のパンデミックで一気に進みましたよね。テレワークや時差出勤など、20年くらいかけてできなかったことが1か月くらいでいきなり急拡大したわけです。

変化がもたらされたことはよかったかもしれないけれども、肝心なのはどういう社会を作るかという思想やビジョンを我々がしっかり持つことでしょう。コロナ禍を機に情報技術を主体とした社会への変化が加速するだろうけれども、情報技術をどう活用して、どんな社会を目指すのか、その着地点を探ることが重要です。

新型コロナへの対策は国や地域によって異なり、いまのところどこが成功したかは明言できないという。「第1波を抑え込めても、第2波、第3波で大きな被害が出ることもあります。感染が完全に収束するまでは予断を許しません」(山本氏)。

社会の弱点が顕在化する形でパンデミックが起こる

新型コロナウイルスという存在は厄介だけれども、コロナに限らず、パンデミックを起こす相手はいつも厄介なんです。なぜなら、それは我々の社会の弱点を突いて出てくるものだからです。

ウイルスは我々の周りにたくさんあって、いつも社会に入り込もうとしています。どのウイルスが流行するかは別にウイルスが選んでいるわけでなく、我々の社会のあり方が特定のウイルスの流行しやすい状況を提供している。だから社会の弱点が顕在化するような形でパンデミックが起こるわけです。

要は、人間の側が準備してしまっているんですね。それに応じたものがある中から選ばれて流行する。だから今回の場合はグローバル化の弱点、あらゆるものを流通させるネットワークの隙間を突くような形で感染が拡大していきました。

エイズにしても、近代的な植民地政策を含めた生産業の巨大化が血液産業の暴走を招き、結果として薬害エイズという問題が生み出されたという構図がある。疾病はその時代その時代を映す鏡でもあるのです。


山本氏。取材はオンラインで行われた。

既存の価値観とは違う別の価値観の確立が望まれている

ウイルスが突いてくるポイントが我々の社会の弱点であるとするならば、それに置き換わるものが必要です。より早く、より遠くへという効率性、際限のない経済成長といった価値観が今のグローバル化社会の弱点だとすれば、それだけでなく、何か別の価値観を持つことが必要だと教えてくれているのかもしれません。

もやもやとして、すっきりしない気分になるけれども、先ほど述べたような言葉の力やリーダーシップの力も借りながら、その答えは我々自身がうだうだと考えていくしかないんじゃないかな。

感染症流行に対する措置を「ウイルスとの戦争」という人もいるけれども、ウイルスを敵とみなす姿勢は、感染者や感染の水際にいるエッセンシャルワーカーを差別・排除する姿勢と根っこは一緒のような気がします。ウイルスという自分と異なるものを排除しようという発想は、感染した人=自分と違う人を排除するという発想になるわけですから。

お互いの違いを認めながらゆったりと構えて付き合っていくことは、効率も生産性も悪いかもしれないけれども、そういう既存の価値観とは違う別の価値観を探ることが、いま望まれているのではないでしょうか。

効率がいい部分に非効率を埋め込む

これからの人々の行動や文化の変化のありようはまだ見えてきません。働き方も、テレワークが広がったとはいえ、定着するかどうかは未知数だと思います。

というのも、人はやっぱりコミュニケーションが好きなんですよね。不要不急のことをやるのが楽しい。誰かとご飯を食べに行ったら、仕事の話ばかりでなく、噂話やたわいもない話で盛り上がりたい。それとテレワークやソーシャルディスタンシングがどうフィットするのか、僕もよくわかりません。

一方で、特に緊急事態宣言が発令されて家にこもっていた時期には、心理的な変容を余儀なくされた面もあるでしょう。テレワークを経験したいま、コロナ前のように毎日職場へ通うのはきついと思う人は少なからずいると思います。どちらか一方だけを選ぶのではなく、テレワークと対面コミュニケーションのバランスをとっていく。いわば、効率がいい部分に非効率な部分を埋め込むような形の社会にシフトしていくのかもしれません。

コロナによって働き方の多様性を探るチャンスが到来したともいえます。感染症の流行や自然災害が大きな変化のきっかけになったケースは多くあります。今回のパンデミックも、新しい文化を育む準備期間ととらえることができるのではないでしょうか。

WEB限定コンテンツ
(2020.5.8 オンラインにて取材)

text: Yoshie Kaneko

山本太郎(やまもと・たろう)

1964年生まれ。1990年長崎大学医学部卒業。医師、博士(医学、国際保健学)。京都大学医学研究科助教授、外務省国際協力局を経て、長崎大学熱帯医学研究所教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学。アフリカ、ハイチなどで感染症対策に従事。著書に『感染症と文明――共生への道』『抗生物質と人間――マイクロバイオームの危機』『大震災のなかで――私たちは何をすべきか』(内橋克人編)(以上、岩波新書)、『ハイチ いのちとの闘い――日本人医師の300日』(昭和堂)、『国際保健学講義』(学会出版センター)。訳書に『感染症疫学――感染性の計測・数学モデル・流行の構造』(昭和堂)、『エイズ――ウイルスの起源と進化』(学会出版センター)など。

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