Workplace
Oct. 4, 2021
「ポストコード2010」の住人が集う
クリエイティブ・コミュニティ
[Paramount House]Sydney, Australia
カフェやセレクトショップが立ち並ぶ情報感度の高い街、サリーヒルズ。ここに、1970年代初頭までオーストラリアの映画文化の象徴とされた建物が立ち並んでいる。かつての持ち主はパラマウント・ピクチャーズと20世紀フォックス。インターネット前史のこと、通りを行き交う人々は、レンガ造りの美しい建物を見上げるたび華やかなハリウッドを想像した。だが2つの会社が退去してから30年余り、テナントの業績がふるわない時代が続いた。
そんな不遇の建物を地域のクリエイティブ・コミュニティを育む複合施設「パラマウント・ハウス」として蘇らせたのは、新たに建物を購入したデベロッパーと、デザインを担当した都市開発コンサルティング・エージェンシーのライト・アングル・スタジオだ。彼らは過去のテナントが根付かなかった反省を踏まえ、カフェ、映画館、バー、スポーツクラブ、コワーキングと、慎重に1つずつ選んだ。「こうした手法はオーストラリアでは珍しい」とライト・アングル・スタジオのディレクター、バリー・バートン氏は言う。「通常はもっとタイトなスケジュールで、ほとんどの建物は一度にテナントを選びます」(バートン氏)
最初に決まったテナントはカフェ「パラマウント・コーヒー・プロジェクト」だ。「サリーヒルズの人々は毎日コーヒーを飲みますから」と、上質なコーヒーを提供すれば新しいコミュニティが生まれ連鎖的に成功すると確信していた。協力的な姿勢かどうかもテナント選びのポイント。建物内では多くの人々がそれぞれにコミュニティを構成する。スペースを共有する意識を持ち、友好的な関係を築けるテナントを探した。テナントがすべて決まるまで8年の歳月が費やされたが、こうして街に根付いたことを思えば苦労の甲斐はあった。
パラマウント・ハウスの外観。右奥に見えるのが、かつてパラマウント・ピクチャーズのオーストラリア本社として使われていたアールデコ調の建物だ。
コミュニティを重視する姿勢が
ミレニアル世代の若者を惹き付ける
そもそも公共交通機関が発達していないシドニーは、旅行者にはあまり向かない街だとバートン氏は考えている。「東京のように山手線がありませんからね」。ここを訪れるのも、多くが近隣住民。それも建物と同じ「ポストコード(郵便番号)2010」のエリアで暮らす「ネイバーズ(隣近所)」だ。サリーヒルズはオーストラリアでも指折りの人口密集地。小さなアパートで暮らす若い単身世帯が多く、徒歩5分で行けるシドニーの中心部で働いている。いつも新しいことやおもしろいことを探している彼らのことだ。パラマント・ハウスに目をつけるのは当然のなりゆきだったことだろう。またパラマウント・ハウスのように、コミュニティを重視し、地域に対して責任を持つ企業はミレニアル世代の価値観とも重なる。
「55歳より上の世代の方々は若年世代とは考え方が異なると捉えています。若者には常にインターネットがあり、フェイスブックやインスタグラムなどのコミュニティの中で他人との関係性を意識しています。彼らは気候変動や同性婚など、さまざまな価値観を発信し、人々と共有したいと考えているのです」(バートン氏)
ワークスペース1つとっても、ミレニアル世代の価値観は反映されている。彼らはただ働く環境さえあればいいとは考えない。コワーキングスペースを手がけたジ・オフィス・スペースのファウンダー、ナオミ・トシック氏は「『仕事へ行く』ことが『教会に行く』ことの代わりになっている」と表現。「人々はスピリチュアルなものやコミュニティを求めてこの建物を訪れます。私たちはそのニーズに対して対応できているのではないでしょうか」。Netflixよりも映画館、Uber Eatsよりもカフェを好む彼らは、人と会いたがっている。それを妨げることがないよう、建物内にはニュートラルで洗練されたものしか置いていない。
今、ライト・アングル・スタジオには、大企業からのオフィス設計の依頼がひっきりなしに舞い込んでいるという。彼らは一様に保守的で、それだけに若者を集められる新しい職場環境のアイデアを外部に求めている。
「私たちのクライアントは、つねにさまざまなタイプのコンサルタントからアドバイスを受けています。その中でも私たちの意見は特殊なものでしょう。私たちはこの建物内の人々を観察し、クライアントへ伝えています。人々が何を求めているか、ほかのコンサルタントとは違った見解を述べられるのです。大企業のクライアントにとって、私たちはとても小さなアドバイザーかもしれません。でも、そんな会社だからこそ堂々と違う視点で意見を言えるのだと思います」(バートン氏)
ライト・アングル・スタジオ
ディレクター
バリー・バートン
ジ・オフィス・スペース
ファウンダー
ナオミ・トシック
text: Yusuke Higashi
photo: Hirotaka Hashimoto
WORKSIGHT 16(2020.7)より