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ビッグデータをマネジメントが役立てるには

ビッグデータを現場に活かすためのさまざまな課題

[城田真琴]野村総合研究所 先端ITイノベーション部 上級研究員

前回の記事で、ビッグデータの活用に動き始めた企業の事例を紹介しました。ただ一方で、活用に踏み切るには課題が多いことも事実です。もっとも大きな障害は、データの分析から導き出された結論を「行動に移さない」組織が意外と多いということ。私が知る限り、分析結果がこれまでの経験と照らし合わせて「確かにそうだよね」と納得できる場合は受け入れるが、納得できない場合は無視する傾向が見受けられます。

特に日本企業の場合は、意思決定を行う立場にある人間が新しいものを受け入れるタイプかどうかという点がポイントになります。これまであまりデータを用いず、勘や経験を頼りにビジネスをしてきた人にとっては、大きな方針変更を求めるような分析結果は、受け入れられないものなのかもしれません。自分の目でも見えなかった事実をデータによって突きつけられ、それを根拠に変化を迫られることに、心情的に抵抗があるのでしょう。これは、データに対する拒否反応と言ってもいいと思います。

費用に見合った成果を得られるか

加えて、コストの問題もあります。例えば、全社員の社内での行動をデータ化するとなると、社員証を赤外線センサーや加速度センサーを組み込んだICカードに置き換えたり、赤外線ビーコンなど専用の機器を社内に設置することが必要になりますから、当然、費用がかかります。しかし、果たしてそれが生産性の向上にどれくらい役立つのか。導入することによっていくら儲かるのか。費用対効果がしっかりと見えてこないと、ビッグデータ活用云々の前に、データの収集自体がおぼつきません。

社内SNSなどを使えば、コストを抑えつつ比較的簡単に社員の活動のログを集めることができるため、導入へのハードルは低そうにも見えますが、これはこれで問題があります。社内SNSの導入自体は確かに簡単ですが、効果的な運用が難しいのです。というのも、発言が多く飛び交う状態でないと、十分なデータは収集できません。経営トップが頻繁に使っている会社だと社内SNSは活性化されるものですが、逆に「SNSなんかを使っているのは暇人だけ」という考え方が主流になっていると、社内のごく一部でしか使われなくなってしまいます。導入までは進んでも、積極的にデータを収集できるまでには至らないというわけです。

ビッグデータでは解決できないこともある

もちろん、ビッグデータは万能ではありません。ビッグデータを活用しても、成果に結びつけられない事態は十分考えられます。

「ショールーミング」という言葉をご存知でしょうか。これは、実店舗で商品を実際に見て確かめてからネット通販で(安く)買うという消費行動のこと。店舗が単なるショールームと化してしまう状態を意味します。ショールーミングによって、書店や家電量販店など小売店のビジネスは大きく揺らいでいます。

また、最近、美容業界の方と話をする機会があったのですが、美容業界でもショールーミングに関する悩みを抱えていました。例えば市販のシャンプーに比べて値の張る「業務用のシャンプー」は、美容院にとってうまみのある商品でした。

ところが近年、業務用のシャンプーの売上が落ち込んでいる。なぜなのかといろいろ原因を分析してみると、これまでは美容院でしか手に入らなかったそうした商品が、Amazonなどのネット通販でも容易に、しかも定価よりも安く買えるようになっていることがわかりました。つまり、1回目は店舗で買ってくれたお客さんも、2回目以降はネットで購入するようになってしまったのです。

ここからが問題です。シャンプーの売上が落ち込んでいるという状況を分析し、顧客の消費行動が読み取れました。そこで、美容院はどうすべきでしょうか。もしネット販売に対抗して「価格を下げる」という解しか見つからなかった場合、それはすなわち「手も足も出ない」ことと同義です。スケールメリットが効かない小規模な美容院にとって、Amazonよりも価格を下げるのは、ほぼ不可能でしょう。つまり、この件に限らずですが、せっかくデータを集めて分析しても、考え得る改善策はハナから無理、という冴えない結果に終わること十分にあり得ます。こういったケースでは、コストをかけてまで、分析する価値はありません。

ただ、この美容院のケースでは、価格という土俵では勝ち目がなくても、サービスを含めたトータルの顧客満足度では、勝てる可能性があります。ですから、お客さんが美容院でシャンプーを買わなくなっている原因が単に価格だけなのか、ヘッドマッサージなどをプラスすれば、サービス込みで美容院で買ってもらえる可能性はあるのか、ないのかなど、もう少し原因を精緻に分析する必要があるでしょう。

城田氏の著書『ビッグデータの衝撃』(東洋経済新報社)。グーグルやフェイスブックなど、インターネット、IT業界の雄に共通するキーワード、それが「ビッグデータ」。本書は、ビッグデータの価値を認識し、使いこなすためのヒントにあふれた一冊だ。ベストセラーとなった前著『クラウドの衝撃』同様、具体的な事例を豊富に盛り込みながらビッグデータの本質や課題が丁寧に解説されている。

ビッグデータを
企業の「武器」にするために

ビッグデータの活用が裏目に出た例では、こういう話もあります。社員間でのコミュニケーションが生産性の向上に役立っているという分析結果が得られたので、全社的に「もっと頻繁にコミュニケーションをとりなさい」ということになった。しかし、人によっては性格的な理由で、それができない場合もあり得る。そうした人にとっては「もっと頻繁にコミュニケーションをとらないといけない」とメッセージがストレスになり、かえって生産性を落としてしまった……。

「コミュニケーションの頻度と生産性の向上には、直接的な因果関係がある」と言い切れればよいのですが、必ずしもそうとは言えません。実際には多くの要素が複雑に絡み合って生産性に結びついているものです。そこを見誤って、ある側面の分析結果だけを鵜呑みにしてしまうと、このような失敗をしてしまうわけです。

ちなみに、「では生産性向上のための分析とはいかにあるべきか」となると、現時点では、非常に難しいと思います。つまり、ビッグデータの活用には大きな可能性があると同時に、まだまだ発展途上の部分も多い、ということです。

ビッグデータはビッグブラザーなのか

他にビッグデータ活用の足かせになり得るものには、社員からの反発もあります。社内とはいえ、社員の行動や発言を全てデータ化してしまうことについては、プライバシーの面から嫌がられることもあります。データ収集のためとはいえ、メールの送受信履歴や内容まで分析までされてはたまらない、と考える人も多くいますから。「ビッグデータは、まさしくビッグブラザー*。いくら会社とはいえ、監視される社会など受け入れられない」という断固拒否の態度を示す向きも一定数は存在するので、細心の注意を払う必要があります。

話は変わりますが、アメリカの企業では日本企業と異なり、経営者もしくは経営層に理系の数学科出身などデータサイエンスや統計学に知見のある人材が多くいます。グーグルやフェイスブックなどのネット企業だけでなく、バンク・オブ・アメリカやベライゾンなども然りです。そもそもデータ分析というものに理解があるため、ビッグデータの分析結果を受け入れ、経営に役立てようという考え方が強くあります。その点、日本では役員クラス含め、データ分析に長けた経営者は、私が知る限りでは決して多くありません。ビックデータ活用への積極性で日米に違いが現れているのには、こうしたことも関係していると思います。

それを踏まえて、日本企業がビッグデータの活用を考えるなら、一気に全社的に推し進めるのではなく、スモールスタートをおすすめします。日本企業には自社にデータ分析の専門家を抱えているところは少ないので、そうした企業は、データの収集と分析を外注せざるを得ません。そのぶん費用がかかりますから、狭い範囲での実証実験から始めて、何らかの成功体験を得ることから始めたほうがいいでしょう。いきなり大々的に始めて失敗すると、「ほら、言わんこっちゃない」となり、二度と活用のチャンスがなくなってしまいます。小さく始めて、徐々に大きくしていくのが、日本企業の文化にも合っているのではないかと思います。

真の「データ・サイエンティスト」の育成が急務

日本における大きな課題の一つに「データ・サイエンティスト」の育成があります。最近では、データ分析を行う人は誰でも「データ・サイエンティスト」と呼ぶ傾向がありますが、店舗の売上などの数字をエクセルに打ち込んで単純集計したり、きれいにグラフを作るだけの人は、「データ・サイエンティスト」とは呼びません。

あらかじめ決められたデータセットを使い、毎日定型のデータ分析を行うのではなく、例えば、「こういうデータとこういうデータを組み合わせれば、こんなおもしろい結果が出るんじゃないか」と探索的に、試行錯誤を繰り返しながら、好奇心旺盛に考え、そこから新たなサービスを生み出したり、付加価値を与えられる人こそが、真のデータ・サイエンティストです。このように、データに対するクリエイティビティを発揮できる人物の育成が、日本でビッグデータが定着するためには欠かせません。ビッグデータが企業にとって本当の武器となるのは、それからでしょう。

WEB限定コンテンツ
(2013.3.15 千代田区のオフィスにて取材)

*ビッグブラザー
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する架空の人物であり、市民の行動を逐一監視する独裁者。そこから転じて「組織、国での大規模な監視を行う人物、機関」を指す。

城田真琴(しろた・まこと)

野村総合研究所先端ITイノベーション部上級研究員。北海道大学工学部卒業後、大手メーカーのシステムコンサルティング部門を経て、2001年より現職。現在はITアナリストとして先端テクノロジーの動向調査やベンダー戦略の分析などを進め、同時にそれらをもとにしたITの将来予測とベンダー、ユーザー双方への提言を行っている。

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