Innovator
Apr. 21, 2014
製品を通して世界中の人にほめられたい
組織の求心力となる根源的欲求とは
[寺尾玄]バルミューダ株式会社 代表取締役社長
前回の記事で、2010年に発売した扇風機「GreenFan」を足掛かりに、デスクやPC周りのアクセサリメーカーから家電メーカーへ転換したと話しましたが、これに合わせてマネジメントや組織構造も変えてきました。
まず行ったのは、デザイナーの変更です。会社設立以来、自分がすべての製品のデザインをしていましたが、自分が欲しいものより多くの人に必要とされる製品を目指して、GreenFan以降は社内の専属デザイナーにデザインを任せることにしました。
それでも現場で陣頭指揮に当たることは続けていました。社内の全ての部隊、品質管理もマーケティングも営業も私が直接統括していたんです。
コストダウンかスペックダウンの断行も時には必要
ところが、この体制にも問題が出てきた。現場の事情を詳しく知ってしまうと、経営感覚のエッジがどうしても鈍ってしまうんですね。
例えば、去年から販売しているヒーター「SmartHeater」* の開発は私がプロジェクトリーダーを務めたけれども、より良いものを作ろうとして、価格は少し高めになってしまった。でも自分が仕込んできたから誰にも文句が言えない。
部品単価の積み上げで原価が出てくるので、この部品を使うなら価格が高くなっても仕方ないと、開発目線で販売に入ってしまうわけです。そうじゃなくて、自分は高いか安いかを見極めて、必要に応じてコストダウンかスペックダウンを断行し、バランスを取るべきだった。そういう後悔があります。
経営者である以上、売り場の動向も社会の人気感も分かったうえでチームを監督していかないといけない。そうやって最終的な結果に責任を持つのが使命だと自分に言い聞かせつつ、その使命を全うするため、つい先ごろ組織改編を実行したところです。
高度な意思決定のため、自分を現場から切り離す
2014年1月から実施している体制では、中央に自分を筆頭とした「マーケティング」チームを置いて、その周りにもの作りに関わる「プロダクション」、ものを伝える「コミュニケーション」、量産が始まってから物流、セールス、カスタマーサポートというリレーをマネージする「リレーション」、そして管理機能を担う「オペレーション」という4つのチームをひもづけています。
一般にマーケティングは広告や集客、市場調査といった意味でとらえられていますけど、バルミューダでは、いつ、誰に、何を提供するか、いわば新製品を発想していく核の機能として位置づけています。マーケチームの中に経営企画の人間もいて、だいたい私とその者が原案を出すんです。それをマーケチームで揉んで、アウトプットをマスタープランとしてまとめたら開発を動かし、製品が出来上がったらセールスやコミュニケーションを動かしていくという具合です。
メーカーだからもの作りを主体に置きがちだけれども、市場とうまく会話できないと、ただ作って終わりということになってしまう。それも、どのタイミングで何が必要とされるかを戦略的に考えなきゃいけない。今日の結果というのは1年前の判断の結果です。ということは、今日決めたことが1年後の結果になるわけですよね。経営の最高責任者である以上、1年後、2年後の事業を社内で一番考えて、悩み抜かないといけない。その仕事は他の人ではできません。この意思決定をぶれさせないためにも、自分は現場にいちゃいけないんです。
現場を離れるということは権限の委譲もポイントになります。以前まで参加していた進捗会議にも、もう顔を出していません。あのチームは今どうなってるかなとか心配で仕方ないですけどね(笑)。上長に話を聞くくらいにとどめて、見守り役に徹しています。
バルミューダ株式会社は2003年3月に東京で設立された家電メーカー。「最小で最大を」を理念としたプロダクト開発で、数々のデザイン賞を受賞している。
http://www.balmuda.com/jp/
*SmartHeater
2013年11月に発売されたヒーター。アルミラジエーター方式という独自の暖房方式を採用している。(写真提供:バルミューダ)
責任ある立場にいる人ほど
恥をかかなければいけない
上位の人間が未来のことを考える分、現場の担当者は目の前のことに全力で取り組んでもらわないといけない。社員が走っているとうれしいですよ。声をかけても、「すみません、あとで」なんて言われたら余計うれしい(笑)。シーンと静まり返っている会社って、活性化していない気がします。職場が今いい状態かどうかは、ざわざわしているかどうかでわかりますね。
あと、うちの会社で隠し事は許されません。だからパーティションも置いていない。仲間に対しては物理的な壁もなくして、気持ち的にもオープンにいこうと。
社員を叱るときも、その人が部下を持つ人だったら、なるべくみんなの前で叱るようにしています。一般的に部下指導は密室で行うべきとかいうから、それとは全く逆ですね。なぜなら、恥をかくことで人は成長するから。自分がそうですよ、もう恥かきっぱなし。でも、だからこそ自分を改めることができるし、その分成長も続いています。立場が上になればなるほど権限は大きくなるので、批判されることで成長の機会を作ってあげないといけない。
みんなのいる前で口頭で叱ることもあるし、メールにたくさんCCをつけて「お前、そうじゃないだろ」と送りつけることもあります。やられるほうは嫌ですよね。プライドも傷つく。でも、傷つかなきゃ強くならないですよ。プライドを守ってあげちゃうと、個体として確実に弱くなってしまう。
大企業の部長クラスの人で、成長が止まっている人っていますよね。それはキャリアの途中から恥をかいていないから。上司に守られてるんですよ。権限が上の人ほど経営トップが大声で叱ってあげるべきだと思います。
かくいう私を評価するのは社会全体と思っています。もうそれは好き勝手言われますよ。でも評価と批判って表裏一体だと思うんですよね。だから批判はしっかり受け止めて、それをバネに成長することが大事。評価はその先にあると思います。
社会との関わりで得られる最大の価値は、認められること
組織のビジョンだとか、そのベースにある自分の思いを社員に分かってもらうことも重要です。ただし、きれいごとを並べた嘘みたいな企業理念を聞かされても盛り上がらない。だから私は飾らないように、自分の言葉でストレートに語るようにしています。
私の世界観は非常にシンプルなんですよ。ほしいものは栄光。それもユーザとかでなく、世界の人、もっといえば人類にほめられること。できる、できないは置いておいてね。これは衝動であって理由はありません。
社会と関わる中で人間が得ることができる最大の価値は、認められること、ほめられることだと思います。その価値に比べたら、お金なんか足元にも及ばない。「すごいね」って言われたらうれしいですよね。1万円もらうより、そっちのほうが私は絶対うれしい。極端な話、資産が1億円あっても誰にもほめてもらえなかったら、その人生は幸せじゃないと思います。
だから社員には「自分はほめられたいんだよ、お前そうじゃないの?」と、ことあるごとに問いかけて、バルミューダの存在意義を胸に刻んでもらう。この目標を本当に実現するには最大限に人類の役に立つしかないわけで、とてつもなく壮大なビジョンといえますが、同時にこれはすごく人間的な欲求でもある。だから社員みんなが深いところで共有できるんです。「考え直してください、社長」って言う人はいませんよ。
自分たちが表現したいものが中国でも伝わった
私は昔、バンドを組んで音楽をやってましたけど、それもやっぱりほめられたかったんだなと今になって思います。音楽ってすごい力があって、人を勇気づけたり和ませたり、人生を変えることだってある。今はそのツールを変えてるだけなんですよ。もの作りを通じて文化的貢献をしてほめられたい。
だから、私にとってこの会社はバンドなんです。製品は曲。「それを世界のみんなに届けて感動させたい、ほめられたいんだよ」と常に社内で言っている。ポイントは目標が世界ということです。世界中の人にほめられるって大変なことですけど、自分が60歳を迎える20年後には実現させたい。逆算していくと、2、3年後には相当の規模になっていないといけません。だから、もたもたしてる場合じゃないんです。
海外展開では2012年から韓国で販売を開始し、2013年にはドイツに現地法人を作って、ドイツでも販売を始めています。中国でも2014年1月から販売をスタートさせました。中国の製品発表会で「日本の会社じゃないみたい」と言ってくれた方がいて、うれしかったですね。バルミューダという会社や自分たちが表現したいものが伝わった感じがしました。
世界の人にほめられるという目標へさらに近づくには、組織の規模をもっと大きくしないといけません。これまでは山賊の集まりみたいなもので、狩りの仕方も成果も人それぞれでした。メンバーが50人くらいになると、上下関係も指揮系統もしっかりした地方豪族ですかね(笑)。そこから大名になるわけですから、道のりはまだまだ長いですよ。でも、バンドの人数が増えるほど音に深みが出てきます。バルミューダでも、より価値のあるもの作りができるんじゃないかと思っています。
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(2014.1.31 武蔵野市のバルミューダ本社にて取材)
バルミューダ本社のオフィス。生産は海外のEMS(電子機器受託製造)企業に委託し、本社の機能は設計・開発に特化している。
寺尾 玄(てらお・げん)
バルミューダ株式会社代表取締役社長。1973年生まれ。高校中退後、スペイン、イタリア、モロッコなどを放浪。帰国後、音楽活動を経て、もの作りの道を志す。独学と工場への飛び込みにより、設計、製造を習得。2003年、有限会社バルミューダデザインを設立(2011年4月、バルミューダ株式会社へ社名変更)。http://www.balmuda.com/jp/