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大企業が新規事業を起こすことに意義がある

100年先に生き残る事業をどう創るか

[深堀昂×八木田寛之]全日本空輸株式会社 マーケティング室/三菱重工グループ(三菱日立パワーシステムズエンジニアリング株式会社 プロジェクト本部)

新規事業創出や組織改革など、日本の大企業を変革する若手が台頭してきている。企業の活性化、ひいては日本経済の再生につながるか。それぞれの企業の現場で躍動する若手の対談をシリーズで紹介する。

深堀

お互いに社内で新規事業創出に取り組んでいるということで、今日は楽しみにやってまいりました。

八木田

僕もテンションが高まっています。深堀さんはどのような事業を進められているんですか?

外部からの感化でスイッチが入った

深堀

“Blue Wing ~Wings for Changemakers~”というプログラムで、全日本空輸株式会社(以下、ANA)が航空移動を提供することで世界の社会課題の解決を支援するというものです。
もともと大の飛行機好きで、ANAに入社したのも飛行機を通じて世界の人々に「夢」と「感動」を届けるという当時(2007年)の経営理念に憧れてのことでした。自分もその一翼を担いたいと思いながら仕事に取り組んだものの、パイロットの操作手順などを作る運航系の一技術職でしたから、具体的な手段はなかなか思いつかないまま1年半が過ぎたんです。
そんな折、Global Agenda Seminar*(以下、GAS)をたまたま知って、これは勉強になりそうだと受講したんです。2010年2月、GASを通じてRoom to Read** という米国のNGOのファウンダーであるジョン・ウッド氏にお会いしました。この方の話がとても刺激的でして、世界の教育問題を解決するためのビジョンを情熱的かつ理路整然と説く姿に感動しました。一級のビジネスプレゼンとはこういうものかと思いましたね。彼のTwitterのフォロワーは33万人(当時)で、非営利活動のスケールの大きさを実感しました。同時に、ウッド氏は年間で300日は移動していると聞いて驚きました。しかも国から国へ飛び回るそうです。費用はファンドレイジングで捻出しているとのことでした。
これを聞いたとき、Blue Wingの核となるアイデアが浮かんだんです。あなたの活動をANAのお客様にも知っていただきたい。例えば、あなたの活動を応援したいとお客様が思ったら、ANAはその想いをフライトに変えてあなたの航空移動をサポートします。その代わり、あなたもANAがあなたをサポートしていることをTwitterやFacebookで発信して本企画の拡散を手伝ってくれますかと聞いたら、彼は「面白いね!」と即答してくれました。このアイデアを早速GASで披露したところ、講師の石倉洋子さんにも面白いと評価をいただいて、これをきっかけにBlue Wingプログラムが具体化していくことになりました。

八木田

営利企業同士がビジネスで行っているようなパートナーシップを非営利と組むというのは、ありそうでない発想ですよね。

深堀

そうなんです。自分でもこれが実現したらすごいぞと興奮しました。
最初の取り掛かりとして、当時ANAの経営諮問委員でいらした石倉さんが当社の経営層に口添えしてくださいました。それを受けて私はCSR担当者にプレゼンすることになったんですが、アイデアが荒削りで実現は難しいと言われてしまった。そこでリサーチの時間をいただくことにしたんです。
ただ、そうはいっても社内の仕組みもリソースも分からないし、パイプもありません。思い切って社内セミナーで一度だけお会いしたセールス部門のマネージャーに、「世の中を変えるビジネスモデルを思いつきました」と、いきなりメールしまして。いまだに「スパムメールみたいだった」と笑われるんですが(笑)、ともあれ「面白いアイデアだ」と認めてくださったんです。その方にマーケティング、セールス、広報などの担当者を紹介していただきましたが、みなさんから「富裕層やアカデミックな方々にアプローチできる」「海外での認知度を高められそう」といった意見をいただいて自信を深めました。
同時に社外でもヒアリングを重ねて、社会起業家がどれくらい航空移動しているのか、どういうプログラムなら活動に役立つかをリサーチしました。これら多くのご意見、アドバイスを元に企画をブラッシュアップしていったんです。

八木田

最初のアイデアを社外プログラムで得たのは私も同じです。といっても、入社2、3年から積極的に動いていた深堀さんと違って、私は入社して7年はどちらかというと受け身の姿勢で仕事していました。
三菱重工業株式会社に入社して、都市ごみの安定処理とごみ処理で出た熱から電気を作るプラントの設計を手がけました。環境に貢献する仕事がしたかったので、それなりにやりがいも感じていました。しかし仕事で何かを成し遂げたいというよりも当時は趣味に打ち込んで、アマチュアテニスの日本代表になることが一番の目標でした。
ところが7年経って環境装置部門の子会社化と整理統合で、所属部署が突然解散となったんです。私は産業用火力部門(現・三菱日立パワーシステムズエンジニアリング株式会社)に異動して、火力発電所のサービス(コンサルティング、設備の改良・保守等の顧客支援)を行うエンジニアとして再出発することになりました。
この出来事がものすごくショックだったんです。仕事や職場は永続的に安定していると思っていたけど、その事業自体なくなることがある。世間一般でいう会社の倒産は、こういう感じなのだと思いました。そこから“自分で飯を食う”という意識が芽生えました。テニスをやめて、仕事もプライベートも、生き残りの道を探ることに全てのリソースを投入しようと、がむしゃらになったんです。
8年経って、最近は単身で世界中の発電所を巡り、お客様に求められるサービスを提供できるようになってきました。毎年地球5周くらいの航空移動をするので、私もANAさんにはお世話になってきました。

深堀

ありがとうございます。でも、仕事が安定軌道に乗ってこられた中で、なぜ新規事業を立ち上げようと考えたんですか?

八木田

やはり将来を考えると、新しい事業を作っていかないといけないなという思いはくすぶっていましたね。ただ、直接のきっかけは2008年に部門長から新規事業を考えてほしいと指示されたことです。そこで営業と技術の部署から精鋭が集められ新しい組織をつくって始めてみたものの、半年経っても何の成果も出せませんでした。やばい、このままじゃ他部門から来た生え抜きでない僕はいよいよ首になってしまうと感じて、大学で新事業の作り方を学ぼうと思い立ちました。あちこち調べる中で、慶應義塾大学大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科(SDM)の「未来の社会・技術をつくる」というフレーズにしびれて、社会人学生として入学。2009年のことです。会社には黙って、プライベートな活動として仕事帰りの夜や休日に通学しました。

深堀

私もGASの受講は土日がメインでした。似ていますね。

八木田

仕事と並行して学ぶとそうなりますよね。でも、時間的にはしんどかったけれども、慶應SDMで得たものは何よりも大きかったです。デザインプロジェクトというプロジェクト科目で革新的なプロダクトやサービスの創出にグループで挑戦しました。その結果、都心の廃校を再生して水耕栽培で高付加価値の野菜を作る「六本木ベジ&フルーツ」というアイデアを考えたんですけど、これで2009年第8回学生起業家選手権で優勝(優秀賞)、第6回キャンパスベンチャーグランプリで準優勝(関東経済産業局長賞)して、テレビ番組でも取り上げられました。ところがそれを会社の経営層が見ていて、「八木田は何してるんだ」と、呼び出しを受けまして。でも本業はちゃんとやっているし、本業にさらに力を入れるための一環だと話したら納得してもらえました。
一方で、経営層からはさらにミッションが下りてきて、今度は有名なコンサルティング会社を入れた上で、また前回と同じように部門横断でメンバーを集め何か新しい事業を考えなさいというんですね。だけどこれも全く成果が出せなかった。経営層はさすがにうちの若手はだめかもしれない、と考えたようです。しかしここへきてようやく僕ら自身が気づきを得たというんでしょうか。「既存事業がうまく行っているんだからこのままでいいだろう」とか「コンサルタントが助けてくれるはず」といった甘えが自分たちにあって、だから成果が出せないんだと思い至ったんです。新規事業はそう簡単に生まれるものじゃないし、だからこそ「やらされ感」で取り組んでいては成果は出ない。魔法の杖なんてないことに、やっとみんなが気付きました、目の色が変わったんです。
それでこのタイミングしかないと一念発起して、慶應SDMで学んだことや、そこで知り合った人脈をフル活用して、革新的な新規事業創出のプロジェクトをボトムアップで立ち上げたんです。パートナーとして東京大学i.school発のコンサルティング企業i.labにも参加していただくことにしました。チャンスはもらっているのに収穫ゼロが続いて、みんな悔しい思いをしている。今度こそ本当にやばいという危機感でもって、経営層にやらせてくださいとお願いして了承をもらいました。ここまで来たら、やらないリスクよりやるリスクのほうが小さいはずだという、そんな感じでしたね。

深堀

今の話はすごく共感できます。特にコンサルタントのくだり。事業創出の専門家を呼べば何とかしてくれるだろうと、誰しも思いがちですよね。ゼロから新規事業を立ち上げることは大変だから、諦める人のほうが多いような気もしますし。
私自身、社内で新しいことを起こすことの大変さを折々に実感しています。先ほどの話の続きでいえば、CSR担当者に2回目のプレゼンをしたものの、当時のCSRの方針はワンウェイの寄付や社会貢献ということで不採用となったんです。それで石倉さんに「だめでした」と報告したら、「新しいことは挑戦の連続。11回目でやっと成功するくらいに考えなさい」と逆に発破をかけられました。
一方で、石倉さんはANAのアドバイザリーボードの委員長を務められたウシオ電機の牛尾治朗会長に打開策を相談してくださいました。牛尾会長のご指摘は、「このビジネスモデルはCSR向けじゃない。ブランディングであり、長期的なマーケティングだ」というもので、そこで石倉さんがブランディング担当の役員に渡りをつけてくださったんです。翌日、私がこの役員に呼び出しを受けまして、怒られるかなと身をすくませていたら、「面白いじゃないか」と。力が抜けました。その後、セールスやマーケティングに関わる部長、副部長を集めた非公式の委員会で検討を重ねていったんですが、その最中の2011年3月11日に……。

八木田

東日本大震災が起きましたね。

深堀

そうなんです。ボランティアツーリズムを主体とした東北復興支援に作り替えようかという案も自分の中で浮上して、一時はかなり迷走しました。社内調整で苦労して、そのうえプログラムの方向性まで見失いそうになって、このころはモチベーションがダウンしていました。
ただ、同じ時期にGAS1期生のビジネスモデル・コンテストでBlue Wingプログラムがグランプリを受賞したんです。ごほうびで2011年の世界経済フォーラム東アジア会議に参加させていただいて、世界中のビジネスリーダーや社会起業家にお会いすることができました。いろんな方にBlue Wingの話をしたところ、みなさん興味深く聞いてくださって、手ごたえを感じましたね。ここで燃料をチャージできました。
さらにこのころ、世界最大の社会起業家ネットワークである「アショカ」*** に日本支部「アショカ・ジャパン」ができたと知りました。アショカでは社会問題の解決に取り組むリーダーをアショカ・フェローとして選出しています。独自の持続的モデルを使って世界の社会問題を解決できる人材にお墨付きを与えているわけですね。また、アショカ・ジャパンでは東北の未来のために活動する若者をサポートする「東北ユースベンチャー」も展開していました。それを知って、そうだ、アショカと提携すればいいとひらめいたんです。
それまで企画を詰めきれなかったのは、タイアップ候補を挙げすぎていたからなんですね。その社会起業家をANAが支援することの妥当性がはっきりしなかった。その点、世界でも東北でも支援を行うアショカと協力することは筋が通っていますし、アショカ・フェローという制度を通して私たちも誰をサポートすればいいか目星をつけやすいわけです。
アショカ側も私たちの提案を受け入れてくれて、正式にパートナーシップを組むことが決まりました。こうして今のモデルにたどりつきました。それが2011年の秋ころです。

全日本空輸株式会社は乗客数では日本最大を誇る航空会社だ。航空会社連合「スターアライアンス」メンバー。
http://www.ana.co.jp/ana-info/

三菱重工グループは、エネルギー・環境、交通・輸送、防衛・宇宙、機械・設備など、幅広い分野における産業インフラを提供している日本有数のものづくり企業だ。
http://www.mhi.co.jp/

* Global Agenda Seminar
六本木ヒルズ内にあるアカデミーヒルズが主催するグローバル人材育成プログラム。2010年にスタートし、深堀氏は1期生。

** Room to Read
途上国で学校や図書館を建設し、2015年までに1000万人の子どもたちに教育を提供することを目指すNGO団体。2000年創設。ジョン・ウッド氏はマイクロソフト社の元重役。

*** アショカ
1980年に米国ワシントンで創設。2013年時点で、約80カ国で、3000人近いアショカ・フェローが活動している。代表的なアショカ・フェローに、グラミン銀行創設者のムハンマド・ユヌス氏、ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ氏、Teach For America(米国の教育NPO)創設者のウェンディ・コップ氏などがいる。
Blue Wingで支援するアショカ・フェローは5名。サッカーを通じて貧困層の人々を勇気づけるユルゲン・グリーズベック、ダイアログ・イン・ザ・ダークを発案し、目に障がいを持つ人を支援するアンドレアス・ハインネッケ、耐震技術を利用した住宅支援を行うエリザベス・ストランド、途上国の低所得層に医療支援を行うアッシャー・ハサン、携帯電話を使って途上国での医療支援を行うジョシュ・ネスビットの各氏だ。

新規事業を逃げ道にせず、
現業のパフォーマンスは100%維持する

八木田

精力的に活動されてこられたんですね。この間、本業はどうされていたんですか?

深堀

両立するために必死でした。「本業のパフォーマンスを100パーセント維持しないと社内の信用を落とすぞ」と、直属の上司が親身にアドバイスをくれたんです。これは企業内で新規事業に取り組むときに避けて通れない課題だと思います。業務外だからこそ自由があってクリエイティブになれたし、いろんな人に会いに行けたけれども、本業はおろそかにしてはいけない。八木田さんの場合はどうだったんですか?

八木田

僕の場合は新規事業創出も業務ですが、既存業務におけるお客さまの満足度は1ミリも減らさないという約束をメンバーと交わしました。だからやっぱり両立は非常に大変でしたね。
この約束には理由があって、1つはメンバーの既存業務を減らすと、肩代わりする人から不平不満が出ること。特に若い人は傷付きやすいので、ネガティブなコメントが生まれない素地が必要だろうと思いました。
もう1つは、新規事業だけだと行き詰まってしまうから。深堀さんが社外活動で燃料を補給できたように、ある刺激が全く別の課題を解決してくれたりモチベーションを高めてくれたりしますよね。そもそも新規事業を立ち上げること自体が難しいのに、精神的にも袋小路に入り込んでしまうと参っちゃうんじゃないかと思います。
実際、両立してみたら、既存事業のモチベーションも上がるんですよ。新規事業では本気で頑張るメンバーがいろんな部署から揃うし、アイデアがあれば経験値や知識レベルは関係なくフラットなので、みんなが自信を持って立ち振る舞えます。そうなってくると既存事業も活性化します。既存と新規の業務を両立するのはお互いの持続性を高めるんじゃないでしょうか。
しかも既存の仕事は減らさない前提を呑んだうえで手を挙げる人は、すごいやる気のある人なんですよね。自ら上司を説得して活動許可を取り付けてくる人も多かったです。そうやっていろんな職場からメンバーが集まって、1~2週間に1回くらいのペースで、半日~1日程度の時間を確保してワークショップやフィールド調査を始めとする合同作業を行い、宿題を分担してまた持ち寄るといった形で進めていきました。

深堀

社内に新規事業を作る専門部署はあるんですか?

八木田

あります。当然ながら相談に行ったんですけど、新規事業は簡単じゃない、やめたほうがいいと言われました。この世界では「センミツ(千三つ)」という言葉があって、1,000の会社を作っても3つしか残らないそうです。それほど生き残る確率が低いからとの理由でした。ただ、裏を返せば新規事業を1,000作れば3つは残れるということですよね。そこに気づいたのが僕のブレイクスルーでした。
プロジェクトを立ち上げた当初は、i.labから「アイデアは100個程度出す」と言われて、それでもメンバーは驚いていたけど、「出すアイデアを1,000にしたい」と僕が言ったらみんな絶句してですね。でもセンミツの話をしたら、みんな納得してくれたんです。そこからプロジェクト名を「K³プロジェクト」にしました。Kiai「気合」とKonjo「根性」で1,000を示す単位Kilo「キロ」のアイデアを出すという想いを込めました。
次に直面した課題がメンバーの獲得とモチベーション向上だったんですが、さてどうするかと考えて思いついたのが、毎月発行される社内報です。K³ プロジェクトが立ち上がりました、部署を超えて一緒に未来の新規事業を作ろうと社内報で謳ったところ、メンバーが30名ほど集まりました。さらにビジュアルでも訴えるようにして、社内報のページに累積アイデア数を表す1,000のゲージを付けて、どこまでアイデアが出たか毎月の進捗を誰もが見て分かるようにしたんです。最初は266個、次の月は650くらいだったかな。

熱意ある仲間を得るための冷静な戦略

深堀

なるほど、どんどん進んでいるのを見ると、「よし、自分も」と思いますよね。

八木田

そうなんですよ。そうやって乗りやすい仕立てにして仲間を増やしていったわけです。
社内報のメリットは他にもあって、まず若い人は載るだけで喜びがあります。なのでプロジェクトに1回でも参加した人は顔写真が掲載されるようにして、モチベーションアップにつなげました。
また、社内報は上層部も見ています。一部署から始まった企画を全社的に周知させる、もっとも無難な方法だと思います。経営幹部への飛び込み営業も比較的やりやすいような気がしますね。で、そういうトップへの突撃リポートを社内報に載せると、今度は中堅社員の食指が動く。このプロジェクトに参加すれば経営層に突っ込めるのかと、そこが魅力になるんですね。
さらにいえば、社内報に掲載されるとオフィシャルな感じがしますから、所属部署であまり説明しなくても、「ちゃんとやってるんだ」と周囲に分かってもらえるのも利点です。甲子園に出ている感覚みたいな(笑)、オフィシャルな活動で、しかもその活動は上層部も含めたみんなが見ているということで、調整を減らす意味でも効き目があると思います。
重要なのは、世代ごとにモチベーションが違うこと。僕を含めた30代の中堅層は「100年先に向かう事業を本気で作りたい」、50代の経営層は「K³を通じて100年先を支えられる若い人たちを育てたい」、若手は「とにかく新しいことに挑戦したい。K³で元気を爆発させたい」と。つまり三層構造なんですよね。それぞれみんな自分の都合でものを言うし、行動するので、それぞれの背景やモチベーションを把握していないとコンフリクトが生まれてしまう。この三層構造を理解できたことはプロジェクトをリードするうえで1つのポイントだったと思います。

深堀

メンバーをどう獲得するかはプロジェクトを左右する重要な課題ですよね。私の場合、利用したのが社内のバーチャルハリウッドプログラム**** でした。募集したところ30名を超える応募があって、全員と面談して志と情熱を共有できると感じた27名がメンバーとなりました。職種は客室乗務員、パイロット、営業、マーケティングなどさまざまで、男女比も半々、年齢も20代から50代まで幅広くいます。
みんなで東京・汐留の本社に週2回、朝7時に集まって検討を重ね、役員プレゼンを通過して正式に企画が承認されたのが2012年末のこと。翌年4月にBlue Wingプロジェクトチームがマーケティング室に発足して、私は勤務配慮の扱いでそこに席を置いて、ワシントンのアショカ本部とも交渉を重ねました。そして2014年2月にBlue Wingのパイロットプログラムが始まり、その後、正式に訓練企画の部署からマーケティング室に異動して正規業務の1つとして取り組むに至っています。
パイロットプログラムは半年間の海外向けのプロモーションでしたが、通常のサービス広告よりもBlue Wingの広告のほうがクリック率が高いなど手ごたえを感じられました。実際の社会活動でも、例えば携帯電話を途上国のへき地の医療に役立てる活動をしているジョシュ・ネスビット氏の場合、ネパールへのワンフライトを提供したところ、25万人にインパクトを与えたという事例があります。
こうしたデータも踏まえて、グローバルプロモーションの1つの施策として、2014年度内に本格的なプログラムを始動する予定です。Blue Wingを通して、飛行機を見たこともない乗ったこともない大勢の人々とつながることができ、将来、彼ら彼女らがANAに乗る日がきて、今度はBlue Wingのサポーターになってもらえたら、本当に世界の人々に夢と感動を届けることができると思う。そこが最終的なゴールなんです。

八木田

日本には100年以上の歴史を持つ会社が他国に比べて多いそうですが、世の中に貢献していない仕事だったら残らないはずですよね。世の中をより良くしたいというのは会社のスピリットだろうし、そのためのチャレンジも事業を継続させるには必要だと思います。
K³プロジェクトでも、技術先行で製品開発するのではなく、100年後の価値観やライフスタイルの変化を探り、そのうえで使える技術を組み合わせようということで、まずは国内海外合計7カ所で先進事例をフィールド調査することから始めました。
インフラと聞くと、公共が提供するものというイメージが強いけれども、最近は民間のノウハウや資金を活用しようという動きも出ています。しかしさらにその先の未来には公共でも民間でもなくパーソナルなインフラが求められるかもしれないと考えました。これを今実践している方がいらっしゃるんです。セルフビルドで山あいに家を建てて、自分で電線や水道を整備して、燃料は灯油でこれも自分で補給している。その方は「インフラが見えないと気持ちが悪い」とおっしゃっていました。これは非常に大きな気付きでした。今の常識は「インフラは縁の下の力」だから見えないし、見せないのだという先入観が音を立てて崩れていった感覚です。インフラが見えて自分で整備・管理すれば安心して使えるし、資源を消費している感覚も持てるということです。また、長崎県佐世保市のハウステンボスにも行きました。ここでは地域の水資源が少ないことから場内の汚水を処理して再利用していて、その水処理システムも視察し、いろいろな気付きを得ました。
こうしたフィールドワークで得られた視点を元に、合宿もしながらみんなで繰り返し粘り強く検討を行い1040個のアイデアを出して、そこから新しさ、インパクト(経済性や社会性)、三菱重工らしさの観点で50点くらいを抽出し、次に社内各部門の専門家の意見を仰いで10点を選び、最終的にはプロジェクトを認可してくれた上司と僕とで2点に絞ったんです。
最後に残った2案のうち、新興国都市部等の高層ビルなどの建物内で水を極限まで循環・利用する「プライベート・ウォーターシステム」***** の反響は賛否両論が真っ二つに分かれていました。しかしここに大きな可能性を感じています。世の中を一変させるアイデアだという手応えがありますね。
K³プロジェクトが立ち上がったのが2012年11月でしたけど、部門の異動をきっかけに新規事業を作らなきゃと最初に思ったのは2009年でしたから、挑戦を始めてもう5年経っている計算になります。こういうものは時間がかかりますね。

深堀

私の場合も、ジョン・ウッド氏の話を聞いて企画を構想したのが2010年の春でしたから、スタートまで4年かかっています。紆余曲折はありましたけど、自分にとって必要な4年でした。

八木田

石倉さんがおっしゃった「11回挑戦しなさい」という言葉は重いです。それだけ磨きをかけていかなければ、100年続く事業は生まれないということなんでしょうね。

WEB限定コンテンツ
(2014.7.25 コクヨファニチャー霞が関ライブオフィスにて取材)

Blue Wingのウェブサイト。(キャンペーンは2014年7月末で終了している)
https://www.wingsforchangemakers.com/

**** ANAバーチャルハリウッドプログラム
既成概念にとらわれないアイデアを社員が描き、部門を超えて有志を募り企画、実現していくボトムアップ型の提案制度。これまで約600名のANAグループ社員が参加、毎年十数件の企画が提案されている。

***** プライベート・ウォーターシステム
建物内の排水を集めて浄化し、求められる水質・水量に分けて循環・供給する「モジュール型システム」と、排水量と水質に応じて課金することで水を大切に利用しようというインセンティブを高める「排水側課金システム」が特徴。

深堀昂(ふかぼり・あきら)

全日本空輸株式会社 マーケティング室 マーケットコミュニケーション部 宣伝チーム。2008年東海大学工学部航空宇宙学科卒業。同年全日本空輸に入社。パイロットの操作手順などを作る運航系の業務のかたわら、営利と非営利の新しいビジネスパートナーシップを創出。Global Agenda Seminarの受講をきっかけに「Blue Wingプログラム」を考案し、Global Agenda Seminar 2010 Grand Prize受賞。2014年4月より現職。
https://www.wingsforchangemakers.com/

八木田寛之(やぎた・ひろゆき)

三菱日立パワーシステムズエンジニアリング株式会社 プロジェクト本部 サービス事業部 技術戦略グループ グループ長代理。2000年旧東京都立航空工業高等専門学校機械工学科卒業、同年三菱重工業株式会社入社。都市ごみ焼却プラントの設計、その後火力発電プラントのサービスエンジニアに従事するとともに、事業戦略立案および次世代新ビジネス創出プロジェクトを取りまとめる。2014年からは三菱日立パワーシステムズエンジニアリング株式会社に所属。米国PMI協会認定Project Management Professional。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了(システムエンジニアリング学)。東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻後期博士課程在学中。慶應義塾大学大学院SDM研究科非常勤講師。NPO国境なき技師団正会員。

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