Foresight
Nov. 30, 2015
ウェルビーイングでワークスタイルの質を高める
ネガティブ要素を「ワクワク」に変える環境作り
[石川善樹]予防医学研究者
快適に働ける環境をいかに作るか。あるいは、オフィスワーカーのどんな行動がストレスの軽減や生産性の向上につながるか。健康と働き方を結び付けるウェルビーイング* の考えが企業やワーカーの間で広がってきています。
僕の専門は予防医学で、心身の健康を増進して病気を未然に防ぐことを研究しています。多くの人が長時間をオフィスで過ごす中、オフィスワーカーのウェルビーイングをどう考えるかということは予防医学の大きなテーマといえます。
幸福の要素は「快楽」「意味」「没頭」の3つ
心身の充実は幸福の度合いと関連があるわけですが、幸福の要素は「快楽」「意味」「没頭」の3つあると言われています**。「快楽」は肉体的・感覚的に得られる短期的な幸せで、「意味」は楽しくなくてもそこに意義が感じられれば幸せというものです。
古代ギリシャにさかのぼれば、幸せといえば「快楽」か「意味」のどちらかでしたが、20世紀になってミハイ・チクセントミハイ(ポジティブ心理学の研究者)が、フローやゾーンといった概念を通して「没頭」の幸せを指摘したんです。「没頭」は何かにのめり込むことで得られる幸せで、別に快楽も意味もなくていい。登山やジョギングなど、その行為に没入できることの幸せを指します。
何に幸せを感じるかは人によって異なりますし、国民性もあります。アメリカ人は没頭タイプです。本質を突きつめたいんですね。だからオフィスでは没頭しやすい個室が重要になってくるんです。日本人は意味を重視します。自分がしていることに意義が感じられれば、それなりに幸せなんです。第三世界では快楽を求める人がまだまだ多かったりします。
ワクワクとともに目覚め、満ち足りた気持ちで眠りにつく
「快楽」「没頭」「意味」という幸福の3要素をさらに拡張して生まれたのがウェルビーイングです。ウェルビーイングを測定する構成要素は、次の5つとされています。
- ・Positive Emotion(ポジティブな感情)
- ・Engagement(エンゲージメント、没頭)
- ・Relationship(ポジティブな人間関係)
- ・Meaning and Purpose(意味や目的)
- ・Achievement(達成)
「ポジティブな感情」は幸福感や満足度、「ポジティブな人間関係」は他社との友好的な関係、「達成」は目的に到達することそのものの幸福です。これらは頭文字を取ってPERMAと呼ばれます。
最近の研究では、心身の健康度合いを測る指標として「ハピネス(幸福)」という言葉は使われなくなってきました。ハピネスからウェルビーイングへという具合に遷移してきたんです。なぜかというと、ある状態を幸福かどうか感じるものさしは遺伝で決まっている部分がありますし、周りの人にも影響されるからです。それに幸福度は高いか低いかのあいまいな基準でしかありません。
ウェルビーイングは50項目ほどの多元的な要素で主観的・客観的に心身の満足度を測定できます。つまり極めて科学的な手法で自分なりのバランスを探っていこうとするものです。そして、平たく言えば朝ワクワクして目が覚めて、そして夜、満ち足りた気持ちで眠れるという、単純にそれだけを目指している。ごく単純なことだけれども、今の日本でできている人はすごく少ないと思います。
仕事のモチベーションは1つに絞った方がいい
幸福の構成要素が「快楽」「没頭」「意味」の3つあると話しましたけど、これは仕事のモチベーションにも大きく関わります。気を付けたいのが、1つの仕事に複数の要素を持たせてしまうこと。例えば「快楽」と「意味」の両方を幸せととらえてしまう人もいます。そういう人はコンフリクトを起こすんです。
自分はこの仕事に快楽を求めているのか、意味を求めているのか混乱して、モチベーションが低下してしまう。だから、仕事やフェーズによって自分の中で幸福の構成要素を分けないといけない。「この作業は純粋に楽しもう」とか「この作業は食べていくためにやるんだ」といった具合ですね。
モチベーションのあり方は「内的」「外的」「内的と外的の両方」という3パターンがありますけど、パフォーマンスが一番低いのは「内的と外的の両方」を持っている人なんです。要は仕事に、報酬や意義、楽しさといった複数の要素を求める人が一番低いということ。次が「外的だけ」、一番いいのが「内的だけ」なんです。ほとんどの人は両方持っているので、そのコンフリクトで苦しんでしまう。
ですから、業務によってモチベーションは1つに絞ってしまった方がいいんです。そうやって1つひとつの仕事、暮らしの細部を振り返ることがウェルビーイングの本質だと思います。
石川氏が共同創業者の株式会社キャンサースキャンは、ソーシャルマーケティング、調査・研究、データ解析などを通じた行動科学に基づく手法で社会や医療の問題の解決を図る。
https://cancerscan.jp/
石川氏が共同創業者/副社長を務める株式会社 Campus for H は、企業、組織の健康づくり・生産性向上に関する調査・研究や、関連するサービスの開発・販売とコンサルテーションを行っている。
http://campus-h.com/
* ウェルビーイング
もともとは国際保健会議で採択されたWHO憲章の言葉で、「身体的・精神的・社会的に良好な状態」を指す。現在では「ワーカーにとって心身ともに負担の少ない環境を提供することで企業価値を高める手段」としても注目されている。
** ポジティブ心理学の創始者の1人である、ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン教授は「快楽」「意味」「没頭」の3要素を揃えることで幸福を最大化できるとしている。
日本のホワイトカラーの疲弊を改善、
いかに知的生産性を上げていくか
企業のウェルビーイング推進のコンサルティングのため、あちこちのオフィスを調査していますが、今ホワイトカラーの人はものすごく疲れているという印象です。特に日本のビジネスパーソンは疲れ果てている。欧米ではパフォーマンス向上とかリーダーシップ強化を目的として研修が行われているけれども、日本のワーカーはそれどころではない。いかに疲れず、イライラせず、遠くまで行けるかということを大事にしたいというのが本音ではないでしょうか。
そして、どうしてこんなに疲れているのか、本人たちもよく分かっていないんですね。昔のように肉体労働をしているわけじゃないのに、なぜメールをやりとりしているだけでこんなに疲れるのか、と。
つまり、疲れの本質が昔と変わってきているということです。製造業が盛んだった昔は、職場といえば工場が主で労働・安全・衛生が求められました。今はホワイトカラーが増えて、いかにパフォーマンスを落とさないか、知的生産性を上げるかといった点にウェルビーイングの主眼が移っています。
肉体、感情、認知の疲れが複合的に組み合わさっている
現代のホワイトカラーの疲れを細分化すると、肉体の疲れ、感情の疲れ、認知の疲れに分けられます。
肉体の疲れは、例えば正しくない座り方から来ることもあります。姿勢が悪いと首や肩、腰が痛くなりますよね。座ってデスクに肘を置いたときに90度ぐらいに曲がるのが理想的な姿勢です。そうすると楽に腕が上がるし、筋肉が効率よく動かせるのですが、大体みんな猫背になっているか、お尻を前にずらして仰向けに近い形で座っていたりする。だから疲れるんですね。チェアの高さやモニターの位置を正しく調整するだけでも身体の負荷のかかり方が全く違うし、疲労感も大幅に軽減します。
感情の疲れというのはストレスから来るけれども、例えば姿勢が悪ければ肺がつぶれて呼吸が浅くなり、イライラしやすくなるということもあります。姿勢を正してゆっくりと深い呼吸をすればリラックスにつながります。ダラーッと過ごすことがリラックスにつながると思い込んでいる人がいるんですけど、そうじゃないんです。
認知の疲れは知的活動や集中力の低下を招きます。これは食生活が影響していて、端的にいえば血糖値がコントロールできていないことが原因といえます。昼飯を食べて眠くなるのも、エナジードリンクを飲まずにいられないのも、血糖値のコントロールができてないから。1日働いても疲れない、集中力が途切れないための食生活の知識がある人は少ないのが実情です。
肉体、感情、認知のうち、何がどれだけ疲れているかを探って、ワーカーも企業も対策を講じなければいけません。疲労の原因が複雑になっている、そういう時代に僕らは生きているということと、疲れを取る対処法は案外簡単ですぐに実行できるということを、まずは知っておくことが重要だと思います。
パソコンの故障がウェルビーイングのきっかけに
ウェルビーイングを実現するためのヒントは意外なところに転がっているもので、僕個人のことで言えば、パソコンが壊れたことがきっかけで人生が変わりました。
数か月前、キーボードに水をこぼして使えなくなってしまったんですね。それで外付けキーボードを使ったら、パソコンを使うときの姿勢が劇的に変わったんです。それまで猫背気味になっていたのが、外付けキーボードを膝に置いて使うと、良い姿勢をキープして快適にパソコンと向き合えることに気づいたんです。ささやかなことですけど、僕にとっては人生の一大転換でした。
それからもう1つ。パソコンの新調にあたって改めて考えたんですよね、そもそも自分はパソコンで何がしたいのかと。まずしていることは書くこと、調べもの、それからメールやウェブサービスでのコミュニケーションといったところです。だけどコミュニケーションがちゃんとできているかと自問したら、来たメールにただ反応しているだけで、ご縁を大切にできていないと痛感しました。
さらに自問していったら、そもそも僕はパソコンと向き合いたいわけじゃないことに気づいたんです。大事なことは、研究者としてもっと発想を膨らませること。そのためには歩かないといけない。歩いて発想を膨らませて、それをキュッとまとめるために机の前に座るんです。でも歩く時間をこのところ本当に取っていなかったなと猛省して、思い切ってパソコンを閉じようと決めました。
それでパソコンを持ち歩かなくても済むように自分の生活をコーディネートして、今年の夏以降、ものすごく歩くようになりました。今は1日1万5,000~2万歩ぐらい歩いています。これは大学時代、研究に没頭していたころに匹敵する距離です。
内面から湧き出るワクワクに身をゆだねる
僕らはどうしても昨日の習慣に引きずられて、流されて生きがちですけど、それを改めて見直してみるのは、自分の実感として勧めたいことです。イライラや疲れ、不安といったネガティブなものをいかにワクワクに変えられるのか。それがウェルビーイングの本質で、そのために環境を整えることが重要です。
例えば、スタンディングデスクを全社的に導入した企業では、初日こそみんな興味津々で使うけれども、翌日からほとんど使われなくなったと聞きました。人って慣れるんですよね。与えられたワクワクというものは持続しない。
それよりも内面から湧き出るワクワクにいかに身をゆだねられるか。街なかで子どもたちを見ていると、酷暑だろうが何だろうが階段を駆け上がっていくわけですよ。階段を駆け上がることが無性に楽しいんですね。僕も見習って試してみたら、これがまた楽しくて(笑)。強度の高い活動をすると脳って楽しくなるんです。「暑い」と言って、ゆっくり動いているから余計に疲れてしまうんだろうと気が付きました。
それ以来、階段を駆け上るようにしたら今度は足の筋肉が付いてきて、走ることが苦ではなくなってきました。心も体も軽い、まさに毎日がウェルビーイングです(笑)。小さなことから改善していくことが大きな成果につながるんですね。これはまさに僕の実感から導き出された1つの解なんです。
WEB限定コンテンツ
(2015.9.9 渋谷区の石川氏オフィスにて取材)
石川氏によれば、飲食店でも顧客の疲れ=ニーズに応じてメニューを変えているところがあるという。
「肉体労働で体が疲れている人に提供する料理は、ボリューム重視ですよね。でも脳や目が疲れている人には、より色が鮮やかに見えるようにしたり、『脂や糖』よりも『うまみ』をやや強くして、ほっとする感覚を脳に届けているんです。フレンチで活躍されている日本人シェフは東京とニースで同じレシピでも味付けを変えているそうです」
快適なオフィス環境というと、天然光が差し込む窓辺や、カフェスペースの設置といった心地よさの演出に目が向きがちだが、やがて馴化を招くためウェルビーイングにはつながりにくいと石川氏は見ている。
石川善樹(いしかわ・よしき)
予防医学研究者・医学博士。1981年、広島県生まれ。東京大学医学部を経て、米国ハーバード大学公衆衛生大学院修了。現在は株式会社キャンサースキャンおよび株式会社Campus for Hの共同創業者。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。