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ヨーク大学がチャレンジする
エンジニア教育再生の拠点

「世界を変える」情熱と問題解決力を育成する

[The York University Lassonde School of Engineering]Toronto, Canada

  • 未来のエンジニアを育成したい
  • 個人の情熱に立ち返った教育の実践
  • エンジニア教育の新しいトレンドを牽引する存在に

カナダ最大の都市トロント。この地に本部を置き国内第三位の学生数を抱えるヨーク大学が今、エンジニア教育の先端として衆目を集めている。2012年に新設された学部ラソンド・スクール・オブ・エンジニアリングだ。

2011年11月、慈善家ピエール・ラソンド氏はこのエンジニアリング・スクールの創立に2500万カナダドルを寄付すると発表した。同時にヨーク大学も同額の寄付を、さらにオンタリオ州が5000万カナダドルの寄付を決定。総額2億5000万カナダドルという金額が、同学部に寄せられた期待の高さを物語る。

カナダで最後にエンジニアリング・スクールが作られたのは40年前のこと。「ラソンド氏と私はずっと、どんな学校を作るべきか考え続けていました」と学部長のジャヌス・コジンスキー氏は述懐する。

「世界は急速に変化しており、気候変動、過密人口、貧困といった新しい問題が登場しています。にもかかわらずエンジニアリング教育は長い間変わっていません。私がエンジニアリングを学んだのは1970年代ですが、今も同じような教科書を使っています。エンジニアという職業は20年後どうなっているか、世界の課題にどう向き合えばいいのか、教育システムはどうあるべきなのか……。私たちは自らに問い、やがて“根本的に新しいことをやらないといけない”という結論に達しました」

エントランスを入ってすぐに鎮座する象徴的な内階段。上下階のコミュニケーションを高める狙いがある。

創設:2012年
学生数:約2000人
教職員数:約200人
http://lassonde.yorku.ca

  • 建物内に4つしかないというレクチャールーム。ディスカッション主体の授業がここで行われる。いくつかの座席がクラスター状に集まり、少人数での議論を容易にする。

  • 学生たちの「出会い」を演出するフリースペース。教室での授業後もこの場所でディスカッションが続いていく。

  • 校舎内の壁面はホワイトボードとして使用可。数式を書き込みながらディスカッションする学生の姿がそこかしこに見られた。

  • コミュニケーションスペース。学生と教員が分け隔てなく交流し、問題解決を図る。

  • 学生たちが集まりディスカッションできるスペースがフロアのあちこちに点在しており、プロジェクトワークの種類に応じて個室も選択できる。Wi-Fi完備で廊下にもスクリーンがある。

  • 大きなセミナールーム。研究発表会、投資家へのプレゼンテーションなど人数にあわせたコミュニケーションスペースが用意されている。

ソーシャル機能に特化し
反転授業を支える学習環境

ラソンドの教育方針は3つの理念にまとめられている。1つめは「ルネッサンス・エンジニアリング・カリキュラム」。エンジニアリングを究めるためのラボを備えつつ、ヨーク大学のMBAおよび法科大学院とパートナーシップを組み、エンジニアリングからビジネス、法律まであわせて学べる環境を整えた。

「ここはアントレプレナー養成機関でもあります。卒業生には『仕事に満足できない』状態になってほしくありません。自分のため他人のために仕事をクリエイトする、あるいは起業する。そのために必要な、ビジネスプランの立て方や会社の設立方法、運営ノウハウを多角的に学んでもらいたいのです」(コジンスキー氏)

ラソンドでは、最長1年半のインターンシップを行う期間が用意され、単位として認められている。インターンを通じて、リアルなビジネス感覚を養わせるのが狙いだ。起業を志す学生に対しては、大学が最初の出資者やカスタマーになるなどのサポートも手厚い。

大講堂での講義を減らし、実践に時間を割く

2つめの理念が「反転授業」。一般的な大学では教授が大講堂で講義を行い、生徒は授業以外の時間に個々の課題に取り組む。しかしラソンドでは、学生はあらかじめ自宅や図書館などでオンライン講義を受け、授業ではディスカッションや実技を行う。

講義ではなく実践に時間を割く、最新の教育システムだ。そのため建物自体も反転授業に最適化させた。設計に携わったZASアーキテクトのコスタス・カツァラス氏は次のように語る。

「講義室をなくしたかわりに、校舎内の至るところにコミュニケーションスペースを設置しました。廊下のホワイトボードや様々なラボ、地下の広いガレージもそう。反転授業を効果的に行うには、学生たちが時間や空間の隔てなくシームレスに交流しあい問題解決に取り組む、ソーシャルな環境が欠かせません。この大学は授業を受ける場所ではなく、“コラボレートする場”なのです」

窓枠が深くとられているのも、学生が座って勉強したり、議論の際のデスクとして使えるようにとの意図がある。

天井が高く自然光がたっぷり入るカフェテリアは、居心地の良い空間の1つ。学生、教授、職員のコミュニケーションの場としても活用されている。

  • 土木工学のためのラボの一角。水圧でコンクリートや鉄の強度をテストする。振動が周囲に影響しないよう、「建物のなかに建物がある」独立構造。

  • 土木関連の様々な実験を行うためのウェットラボ。

  • ワークショップルームの壁はガレージドアになっており、大きな機械や荷物の搬入出も容易だ。

  • 主に機械工学の学生たちが使うメカニカルワークショップ。大学間で競うマーズ・ローバー・チャレンジ(火星探査機コンテスト)などに出品するロボットやソーラーカーの開発が行われている。地下の施設だが、天窓から自然光が入るつくりだ。

  • 「Student Welcome and Support Center」。学問的な疑問から住居や経済的問題までワンストップで学生をサポートする。

  • 教職員スペース。「壇上から教える」のではなく「ともに考える」反転授業を実践している大学にふさわしい、オープンかつカジュアルな雰囲気。

エンジニアリングは
「世界を変える」ためにある

3つめが「50/50チャレンジ」。現在カナダでは、エンジニアリングを学ぶ女性は学生全体の17〜18%程度。男女比の偏りを是正する。

「これではまるで母や娘、妹のいない食卓のよう。エンジニアリングの世界は女性の視点を見失いがちです。このままではいけない。女性エンジニアの育成は、当校の大事なミッションの1つです」(コジンスキー氏)

何のためのエンジニアリング教育か。世界の問題を解決するためである。そう考えるラソンドに集まる学生もまた「世界を変えたい」という言葉を口にする若者たちだ。はじめに情熱ありき。1年次の最初の1カ月は解決するべき問題を徹底的に考えさせるというカリキュラムが一層学生の情熱をたきつける。

「まず“自分のパッション・プロジェクトを作りなさい”と指導します。アフリカで水の浄化システムを作りたい、貧しい人に食べ物を届けるスマホアプリを作りたい。そういう情熱が大切です。数学や物理を学ぶのはそのあとでいい。プロジェクトを実現させるためには、何が必要なのか。学生自らが学びの必要性に気づく。私たちのカリキュラムはそこから始まるのです」(コジンスキー氏)

ラソンドでエンジニア教育の新しい姿を見たい

ラソンドを収容する建物は、暗くなると雲が宙に浮かんでいるように見えることから「floating cloud of knowledge(ふわふわ浮かぶ知識の雲)と呼ばれている。

その隣には「コクーン(繭)」と名付けられた学生アントレプレナーを対象にしたビルが建設予定。将来的には生物工学、化学工学を教えるスペースとリサーチセンターを同じビルの中に作り、ラソンドのエンジニア教育の領域をさらに広げていく構想もある。

「これらを実現するためには多くの資金が必要ですが、私たちは政府、大学、個人からの寄付に恵まれています。これまでの経験からわかったのは、寄付者は新しいアイデア、今までとは違うもの、自分が信じられるものに資金を出してくれるということです。ラソンドは人の心に響くことをやっている。みながエンジニア教育の新しい姿を見たいと願っているのです」(コジンスキー氏)

コンサルティング(ワークスタイル):自社 – コンサルティングはHerman MillerとSteelcase partners
インテリア設計: ZAS
建築設計: ZAS

text: Yusuke Higashi
photo: Kazuhiro Shiraishi

WORKSIGHT 09(2016.4)より

学生はラボに置かれている工作機械を自由に使うことができる。とくに切削加工のための旋盤は各メーカーの最新モデルが揃っており、多様な加工が可能。さらにマイクロコンピューターやマイクロチップの製造機械、独自の濾過システムを使ったクリーンルームも用意されている。

ラソンド・スクール・オブ・
エンジニアリング学部長
ジャヌス・コジンスキー

ZASアーキテクト
コスタス・カツァラ

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