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SAPがポツダムから起こす
大企業イノベーションの形

SAPの研究開発施設

[SAP Innovation Center Potsdam]Potsdam, Germany

  • 大企業の中でイノベーションを起こしたい
  • イノベーションを起こしやすい環境を作る
  • カルチャーが変わり、新しいプロジェクトや事業が多数生まれた

企業向けERP(基幹系情報システム)で知られるSAPは、ヨーロッパ最大のソフトウェア・メーカーである。近年では、ソフトウェア開発の枠を飛び越え、「デザインシンキング」をキーワードに、顧客の課題解決をともに考えていく事業にも力を入れている。

同社は「イノベーションセンター」と呼ばれる研究開発施設を世界5カ所に置いており、そのうちの一つがここ、ポツダムにある「SAPイノベーションセンターポツダム」である。SAPの本社はドイツ南西部の街、ヴァルドルフ。一方、ポツダムは真逆の北西部に位置しており、その距離は600km以上離れている。

同センターの戦略担当責任者を務めるマルティン・ハイニヒ氏(以下、ハイニヒ氏)はこのように語る。「『イノベーションのジレンマ』という言葉を聞いたことがありますか? 大企業が自分たちのビジネスに集中しすぎてしまい、外の世界で何が行われているのがわからなくなり、いつの間にか時代に取り残される状況を指します。私たちSAPで言えば、あくまで一例ですが、エンジニアが技術的な課題を解決することばかりに注力し、目前にまで迫っている革新的なテクノロジーの登場や次世代の大きなビジネスについて、あまり考えずにいた時期がありました。そこで、本社から遠く離れた場所に拠点を作り、守られた環境でアイデアやプロトタイプを育む場所が必要だということになりました」

「イノベーションのジレンマ」から脱却するための、これまでにない、まったく新しい施設。そこには起業家精神のある若い人材が必要だ。ポツダムという街を選んだ理由は、そこにポツダム大学やHPI(ハッソ・プラットナー・インスティテュート/SAPの共同創設者の一人が設立した、官民共同の研究施設)があったからだという。

優秀な人材を確保するため、ポツダムを選んだ

「イノベーションセンターに求められるのは3つの要素です。さまざまなスキルと国籍で構成される人材。適切な場所。そして、デザインシンキングやイノベーションをいかに実行するかというガバナンス・プロセスです」(ハイニヒ氏)。ポツダムはベルリンから近く、若く優秀なグローバル人材を惹きつけるという意味でも、ポツダムという場所を選んだことは重要なことだったのだ。

イノベーションセンターの施設はと言うと、「コミュニケーション」をテーマに設計されており、「オープンであること、透明性があること、柔軟性があること、この3つを大切にしています」(ハイニヒ氏)。さらに、いつでもデザインシンキングのプロセスを取り入れることができるスペースが充実している点も重要だ。旧オフィス群に比べ、敷居がなく、オープンなスペースになっている。個別な部屋はできるだけ少なくし、ホールのようなレイアウトにしてあるのだ。「ガラスの壁を採用し、フロアの端までが見渡せるようにしています。仕切りの壁も可動式にしてあるので、開けるのも閉めるのも簡単です。いつでもメモが取れるように、壁に何かを書くのも自由です。こうした環境によってクリエイティビティが促進されるのではないかと思っています」(ハイニヒ氏)。


写真上が本館、下が新館。2つの建物は地下通路でつながっている。

社員数:約250名
https://icn.sap.com/home.html

マーティン・ハイニヒ氏
SAPイノベーションセンターネットワーク戦略&オペレーション担当責任者

  • 【本館】気分を変えて仕事をしたい時などに使えるワークスペース。

  • 【本館】くつろいでミーティングができるソファ席もある。

  • 【本館】社員間のコミュニケーションを活性化させる階段。

  • 【本館】社員用のカフェテリア。本館にしかない施設なので、新館に務める社員もここへ食事をしに来る。

  • 【新館】テラスに出れば、景色を楽しみながら仕事ができる。

  • 【新館】立ちながらのデスクワークができるスペースも。

  • 【新館】本館同様、新館にも広めの階段スペースが確保されている。

  • 【新館】壁の少ない執務スペース。フロアが端から端まで見渡せる。

  • ベルリンにはない大自然の中、研究開発に集中できる。この環境に惹かれる社員は多い。

  • 【新館】顧客や外部の企業を呼んでデザインシンキングを実践するためのスペース。

  • 【新館】同じく、デザインシンキングのためのスペース。配置を変えられるよう、テーブルにはキャスターが付いている。

  • 【新館】すぐにメモができるようにと、可動式のホワイトボードも至るところに置かれている。

社内起業家を育む
イノベーションセンターのプログラム

実際、イノベーションセンターではどのようなプロセスで新しいものが生まれているのだろう。ハイニヒ氏は語る。「取り組みの一つに、社内起業家を育むプログラムがあります。社員がアイデアを出し、そのアイデアが認められればSAP内でスタートアップを立ち上げることができるのです」

その後、3カ月コーチが付き、プロジェクトに取り組む時間が与えられる。その間にはプロトタイプを作成し、カスタマーに試してもらうというプロセスがある。これは、それが本当にカスタマーの求めているものなのかどうかを判断するためだ。「最終的には、そのプロトタイプをSAPの将来のプロジェクトに育てていこうという結論になることもあります。過去にないユニークなアイデアを実現するには、スタートアップのような環境下で『速く失敗する』経験が必要です。私たちはこれを“イントラプレナー・プロジェクト”と呼んでいます」(ハイニヒ氏)

「最後までプロジェクトをやり切る」

翻って日本国内を見回すと、さまざまな企業がイノベーションハブを持っている。ところが、おもしろいアイデアが生まれても、途中で頓挫してしまい、それが実現することは決して多くない。これはなぜなのか。

「SAPでは、そういうことが起きてほしくありません」とハイニヒ氏。「私たちの目標は、ここでプロジェクトを育み適切なタイミングでSAPからロールアウトさせ、やがてグローバルなサービスとして展開していくこと。しかし、あまりに早くプロジェクトを手放すと失敗に終わることもしばしばです。ですから『最後までプロジェクトをやり切る』ことも重要です。そのために、デザイナーやビジネスディベロッパー、マーケティングなど様々な人材を集めて横断的なチームを作ります。そして、カスタマーのフィードバック。カスタマーに試してもらい、その反応をどう評価するかも大切なことです」

イノベーションセンター発のプロジェクトが次々生まれている

現在は主に2つの分野に注力しているイノベーションセンター。エンタープライズソフトウェアの知性を高める「マシーンラーニング」は、コンピュータが大量のデータから自律的に学習していくシステムだ。これはSAPの大きなテーマだ。もう一つは、近い将来に訪れる知識労働の時代に適合したエンタープライズソフトウェアの開発だ。その前は医療やヘルスケアの分野に取り組んでいたが、このプロジェクトは成功を収め、SAP本社の新しい部署として発展、昇華した。イノベーションセンターの活動は着実に実を結んでいるのである。

ポツダムという場所の選択もよかったのだろう。当初はベルリンにイノベーションセンターを新設するという話もあったのだが、優秀な人材の確保という目的でポツダムにしたというのは前述の通りだ。「ここで働く多くの人がポツダムの環境を気に入っています。落ち着いて仕事ができると言っていますね。おもしろいことに、人は、自分にないものを求めるんです。ベルリン支社の人がここに来て『湖のそばで、インスピレーションが多く得られる』と言うのと同じように、ポツダムの人がベルリンに行くと『都市の中心にいたほうが刺激的だ』と言うんですよ。その日の気分でどちらで働いても良いので、ベルリンとポツダムの2つの働く場所を用意できたのは、結果的によかったと思います」(ハイニヒ氏)

イノベーションセンターに務める社員は、3分の2がベルリン、3分の1がポツダムに暮らしているそうだ。両都市をフレキシブルに行き来しながら、今日も独自の視点で研究開発を進めている。

コンサルティング(ワークスタイル): in-house
インテリア設計: Scope Architekten GmbH
建築設計: Scope Architekten GmbH

text: Yuki Miyamoto
photo:Tamami Iinuma

本館にある、トレーニングルーム。リフレッシュしに来る社員は多い。

新館のミーティングスペース。このようなスペースが建物内には数多く設けられている。

【参考記事】SAP Innovation Center MD所長 カーファー・トズン氏

「大学構内を拠点にした研究開発で若いアイデアを積極的に吸収」

「技術を魅力的なソリューションに導く デザイン・シンキングとは」

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